西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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少し古い話題ですが、3月に嬉しいニュースがありました。
高校野球春のセンバツ甲子園大会に、香川県の小豆島高校が初出場を果たしました!

私は、他人から出身地を聞かれると、「大阪生まれの大阪育ちです」と言うのですが、厳密に言うと、私が生まれた場所は大阪ではありません。
オリーブの産地や壺井栄の『二十四の瞳』の舞台としても有名な瀬戸内海に浮かぶ島、小豆島で私は生まれました。

よく勘違いされるのですが、小豆島は兵庫県でも岡山県でもなく、香川県に属する島です。
私が生まれたのは、香川県小豆郡内海町草壁(現在の小豆島町)という場所なのですが、ここが私の母の故郷です。
私の母は就職のために小豆島を出た後、大阪で父と知り合い結婚し、大阪に住んでいましたが、私を身ごもると、お産のために実家のあった小豆島に帰り、小豆島の病院で私を生みました。
ですので、厳密に言えば、私は小豆島生まれの大阪育ちとなるのでしょうか。

小豆島は、私にとって、とても思い出深い土地です。
私の両親は大阪で飲食店を営んでおり、毎日多忙な日々を送っていたせいもあって、私が子供の頃は、毎年夏休みになると、弟と共に小豆島の母の実家に預けられました。
今はもう無くなってしまいましたが、私の子供時分は、大阪の「弁天埠頭」という港から、小豆島行きのフェリーの定期便が就航されており、私たち兄弟は、いつもそこからフェリーに乗り、祖父や祖母が居る小豆島に帰省していました。

小豆島に帰る前夜、私たち兄弟は、まるで遠足に行く前の日のように、気持ちが高ぶり、なかなか寝つけない夜を過ごしていたことを今も覚えています。
今でも弁天埠頭があった大阪の弁天町近くに立ち寄ると、とても懐かしい気持ちになるのは、毎年夏の小豆島帰省が、子供の頃の一番の楽しみだったからでしょう。
子供にとって夏休みは一番楽しい時期だと思いますが、その時期をいつも小豆島で過ごしていたせいか、私にとって小豆島と言う場所は、楽しい思い出が一杯に詰まった、とても愛着深い場所なのです。

私の母方の祖父、つまり小豆島に住んでいたおじいちゃんは、とても高校野球が好きな人でした。祖父は、夏の高校野球シーズンになると、いつも香川県地区大会(予選)のトーナメント表を壁に貼り、試合結果を一試合毎に丁寧にマジックで書いていました。
祖父は小豆島高校が香川県予選を勝ち進み、甲子園に出ることを夢見ていたのだと思いますが、祖父が生きている間は、その夢が叶うことはありませんでした。
その小豆島高校が、今年のセンバツ大会で甲子園初出場を果たしたのです。
おそらく祖父が生きていたら、ものすごく喜んだに違いありません。

実は、私も小豆島高校が甲子園に出ることをずっと願っていました。
小豆島高校の応援のため、香川県高松市まで、車を飛ばして予選を見に行ったこともあります。
今回の春のセンバツ大会出場がかかった大事な一戦、昨年10月に行われた香川県秋季地区大会決勝も、高松まで応援に行きました。
そのせいか、今回の小豆島高校の甲子園初出場は、自分のことのように本当に嬉しかったです。
もちろん、甲子園にも観に行きましたが、ご存じのとおり、地元・小豆島や全国各地の小豆島出身者が甲子園に集まり、試合当日の甲子園は、超超超満員の応援団が詰めかけました。

試合は、岩手の釜石高校に2対1と惜敗してしまいましたが、それでも小高ナインの雄姿が見られただけで、とても満足のいく試合でした。
是非、夏の大会も勝ち上がり、また、甲子園に出てもらいたいものです。
頑張れ! 小高!
(当日は余りにも興奮し過ぎて、試合の様子を撮影するのを忘れたため、画像がありません(^^;)

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甲子園のチケットです
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【2016/04/20 17:22】 | 雑感
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先日の連休に、今話題の映画『スターウォーズ・フォースの覚醒』を見てきました。

と、言いながら、実は通算3回目の鑑賞です。
同じ映画を3回も観に行ったのは、今回初めてのことですが(笑)、実は私、スターウォーズ(以後、SWと略します)の大ファンなんです(^^)

『スターウォーズ・フォースの覚醒』は、全9部作あると言われる、SWの壮大な物語の中のエピソード7の部分にあたる映画です。
既に色々な雑誌やメディアで取り上げられていますので、ここで詳しくは書きませんが、SWは、1977年に初公開された映画ですが、その時公開されたのは、エピソード4の部分でした。
SWのエピソードというのは、全て時系列で並べられていますので、エピソード4というのは、つまり、エピソード1~3の後の時代にあたります。

この初公開されたエピソード4は、映画史上に残る大ヒットを記録しました。
そして、引き続き3年おきにエピソード5と6が公開され、SWは3部作として幕を閉じたのですが、約15年以上の月日を越えて、後に復活します。
1999年、新たな3部作の第1弾として、エピソード1が公開されたのです。
つまり、エピソードをさかのぼる形で映画化されたというわけです。
もちろん、その後、エピソード2、3と続いて映画化されましたが、このような順番で公開されたため、映画『スターウォーズ』を語る際、エピソード4~6が旧3部作、エピソード1~3が新3部作という風に呼ばれるのです。

そして、2015年12月、新たなエピソードが公開されました。
それが今回の『スターウォーズ・フォースの覚醒』、エピソード7です。
SWファンの間でも、この映画の出来を巡って賛否両論あるようですが、私自身はとても面白く感じましたし、そして楽しめました。
映画については、2Dで見られても十分楽しめますが、機会があれば、是非、IMAXの3Dで鑑賞してみてください。
ものすごい迫力ですから。

SWは、謎や伏線が作品の中にたくさん散りばめられており、自分自身で色々な解釈をしたり、想像を膨らませたりすることが、とても楽しい映画であり、それが醍醐味とも言えますが、私も今回3度鑑賞しましたので、色々と気づく点があったり、自分なりの解釈が生まれました。
完全にSWを見た人・好きな人向けのコアな話ですが、エピソード7について、私なりの解釈を書いてみたいと思います。

※注意
これ以降は、完全に映画の「ネタバレあり」で書いています。
映画を見られた方、読まれたい方のみ、「続きを読む」をクリックしてお読みください。
さて、今回のエピソード7で提示された最大の謎は、

「主人公・レイは誰の子供か?」

ということに尽きるかと思います。

普通に解釈すれば、「ルークの子供」ということになるかと思いますが、この点については、SWファンの間でも意見が分かれています。
ハン・ソロとレイアの子供説、オビ=ワンの血を受け継ぐ者説、はたまたダース・シディアス(パルパティーン)の子孫では? などと諸説出ていますが、やはり私は素直にルークの子供だと解釈した方が良いのではないかと思っています。

SWという映画が、壮大な家族の物語であることを前提に考えると、EP1~3は、アナキンとパドメの夫婦関係、そしてオビ=ワンとの師弟関係を描き、EP4~6は、ダース・ベイダーとルークの親子関係を描いたわけですが、そうなると、EP7~9は、カイロ・レン(以下、レン)とレイの兄妹関係を描いているという風に解釈した方がすんなり納得がいくからです。

そう、レンとレイは、実は血を分けた「兄妹」であると、私は解釈しています。

そうなると、「レンとレイの両親は誰か?」という点ですが、EP7では、レンはハン・ソロとレイアの子供として描かれていましたが、レンの名前がオビ=ワンを髣髴させる「ベン」であるとするならば(EP1でオビ=ワンは、ベンと名乗っていた)、やはりオビ=ワンのことを慕うルークが親だと考える方がすんなりと理解できます。
つまり、ルークは、自らの師匠でもあるオビ=ワンの変名を自分の子供にあやかって付けた、ということです。

ただ、EP1~3でも描かれましたが、ジェダイにとって恋愛や結婚は禁忌です。
そのことから、確かにアナキンがダークサイドに落ちるきっかけとなるわけですので、ジェダイであるルークが結婚して子供が居ることに違和感を感じる、という話がネット上でも多々出ています。
しかしながら、「ジェダイは結婚できない」という厳しい戒律があったのは、ジェダイが正式に機能していた時代(EP1~3)の話であって、ルークに置き換えるのはどうだろう? とも言えます。
そもそもルークはジェダイの血を受け継ぐ者であっても、正式なジェダイではないとも言えますし、ジェダイが死に絶え、強大なフォースを受け継ぐ者がルークとレイアしかいない中、彼らが結婚して子孫を持つことが必要であったとも言えると思います。

ただ、そうなると、EP7の中でレンがソロとレイアの子として描かれていることに大きな矛盾が生じます。
しかしながら、私はこう解釈します。

レンは、ソロとレイアの養子であった、と。

もう一つの謎でもありますが、EP7の中で、レンがソロに対して、異常なまでの怒りを持っていることが描かれています。
レンはそのことにより、ソロを殺すことになるわけですが、私はレンがソロを恨む理由を次のとおり解釈しています。

ルークは、自らの子であるレンとレイの兄妹が幼い頃、何かしらの理由で、かって父・ベイダーがそうであったように、レンの中にダークサイドに繋がるようなきっかけを感じます。
私流に解釈すれば、兄であるレンより妹のレイの方が強大なフォースを受け継いでおり、そのことに対して、レンがレイに対して妬みや嫉妬、怒りなどを次第に感じるようになったことがきっかけであったのではないかと考えています。

怒りや嫉妬などがダークサイドに繋がるものであることは、これまでEP1~6の間に描かれてきたとおりです。
そのため、大きな危険を察知したルークは、兄妹を引き離し、レンをジェダイとは無縁の世界で育てるべく、子供がいなかったソロとレイアに預けた。
レンはそのことを知らずに育ったが、ある時、自らの出生の秘密を知ることになります。
レンがソロを恨んでいるのは、実父だと思っていたソロがそうではなかったことに起因し、そういった出生の秘密を自分に内緒にしていたからではないかと、私は解釈しています。

そうなると、EP7のクライマックスで、レンがソロを殺したのは、「親殺し」では無かったということになります。(養父殺しですね)

私自身は、壮大な家族の物語であるSWで、「子が親を殺す」というテーマは似つかわしくないような気がしています。
思い起こせば、EP1~3の中で、アナキンは妻・パドメの命を救おうと思い余って、結果、ダークサイドに誘惑に落ちました。
そしてまた、EP4~6の中では、ルークは父・ベイダーを許し、父の良心を呼び起こして、最後救済します。
こういった風に、SWの底辺に流れているものは、家族を思いやる気持ちであり、愛情であるわけですから、レンが実父に手をかけたとするのは、ちょっと考えられないな、と思います。

ただ、EP7の中で、ソロとレイアが「ベンをルークに預けたが駄目だった」的な発言をしているので、ルーク実子説については、その点に大きな矛盾が生じますが、レンが成長していく中で、次第に祖父・ベイダーに対する尊崇の念と言うか、大きな憧れを抱きつつあったため、それを是正・軌道修正すべく、ルークに預け直した(ソロとレイアの子供として)、と解釈するのもアリではないかと思います。

また、ハックス将軍がレンに対して、「自分の目的を優先するな」的な発言をしたのは、「父探し」であることを暗示しているという解釈も成り立ちます。
また、レイアだったと思いますが、「ルークに預けたことが逆効果だった」的な発言をしていましたが、それもレンに出生の秘密を知られる結果となったことを暗示しているのではないかと思います。

随分コアな話になりましたが、私が3回鑑賞した結果導き出した解釈は以上のとおりですが、あくまでも想像の話ですので。
ただ、レンとレイが兄妹であることは間違いないような気がしますね。
EP7には、その他にもたくさんの謎がありますが、また、別の機会に書きたいと思います。


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【2016/01/12 17:23】 | 雑感
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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年はブログもなかなか更新できない一年となってしまいました。
ブログを始めて分かりましたが、ブログって難しいですね。
私の場合、じっくり書こうと考え過ぎるきらいがあるからでしょうか、時間に余裕がある時以外なかなか手が付けられないのです。
かと言って、ツイッターみたいに短い単語を呟くのも性に合わないので、今年も細々ですがブログで発信していこうと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

しかし、時代の流れって、ほんと早いですよね。(何だか年寄りみたいな発言ですが)
私が西郷隆盛のホームページ「敬天愛人」を開設したのが今から約16年前の1999年のことですが、当時は歴史系の個人ホームページもたくさんあり、色々なWebサイトに掲示板が作られ、活発な交流が行われていましたが、今ではそのほとんどが無くなり、今やブログに始まり、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム?(←未だに意味が分かりません・笑)と、どんどん情報伝達手段も進化していき、ほんともう中年にはツイて行けない様相を呈しています(苦笑)。
あくまでも個人的な感想ですが、便利になったのか、それとも不便になったのか、正直訳が分からない時代になってしまいました。

また、昨年鹿児島に行った時にも強く感じましたが、鹿児島の街も大きく変わり、何だか近代的な街並みになってしまい、何だか時代が大きく過ぎていったなあ……、なんて感傷的な気持ちに浸りました。
NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」が放映されていた平成2年と比べると、ほんと様変わりしてしまいました。
古き良き鹿児島の風景が失われてしまったと言いますか……。

鹿児島に限らず、正月の風景をもってしても、ほんと世の中の風景が一変してしまいましたね。
正月と言えば、昔はお店も全部閉まっていて、街もシーンとした静寂に包まれ、「正月だなあ」と感じたものですが、今や普段とほとんど何も変わりませんからね。
やはり私は昭和を懐かしむ男のようです。
最近は島津久光の懐古思想が理解できるようになってきました(笑)。

と、少し話がそれましたが、ホームページの更新についても、掲載する文章はかなり出来上がっているのですが、なかなか手が付けられずにいます。
今年はそれらも更新していこうと思っています。

では、皆様にとっても、今年一年、良い年になりますように。

「敬天愛人」管理人・tsubu

【2016/01/04 17:17】 | 雑感
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仕事が多忙で、ものすごく間が空いてしまいました。

引き続き大河ドラマについてですが、最近の大河ドラマが面白くなくなった原因として、題材の次に挙げられるのが、やはり出演している俳優の問題ですね。

最近の大河ドラマに共通して言えることは、ジャニーズを代表とした「イケメン(男)・イケジョ(女)」俳優を多用していることだと思います。
大河ドラマの視聴率がこれほど下がっているのは、視聴者もこんな状況に嫌気がさしているのではないでしょうか?
現在放映中の「花燃ゆ」も良い例ですよね。(私は完全に見る気無しです^^;)

大河ドラマの視聴者層って、10代や20代といった若年層ではないはずなのに、大河ドラマがトレンディドラマ化してどうするの?(トレンディドラマというのも死語ですが^^;)という感じですが、人気中心でさほど演技も上手くない若手俳優を多用していることに、我々中年層はもの足らないものを感じているのだと思います。(少なからず私自身はそうです)
そのことにNHKも気づいたのか、来年の大河ドラマ「真田丸」(真田幸村が主人公)は、主役級に演技派俳優の堺雅人が決まりましたね。

堺さんは明らかに「半沢直樹」で高視聴率を取ったことを意識してのことでしょうが、NHKももっと大胆に、もっと中年の演技派俳優を主役にするとかすれば面白いのに、なんて思うんですけどね。
例えば、テレビ東京の「三匹のおっさん」という、北大路欣也らベテラン俳優が出演したドラマがヒットしたそうですが、これは逆転の発想からくるものですよね。
若手イケメン・イケジョではなく、敢えておっさんをメインにしたわけですから。

そして、最後に脚本の問題です。
確かに、大河ドラマが低迷しているのは、題材や俳優が悪いというのも大きな理由の一つですが、例えそうであったとしても、脚本さえ面白ければ、ドラマとしては成立するような気がします。
例えば、平成7年に放映された「八代将軍吉宗」なんかは良い例です。

その前年に放映された「花の乱」(日野富子が主人公)が平均視聴率14.1%、最高視聴率18.3%と大河ドラマの中でもかなり低迷した作品であったにもかかわらず、翌年放映された「八代将軍吉宗」は、平均視聴率を一気に10%以上も押し上げ、平均視聴率26.4%、最高視聴率31.4%を記録しました。
この平均視聴率は、過去20年間の大河ドラマを遡っても、2番目に位置する高視聴率で、「篤姫」以上の数値です。(ちなみに1位は「秀吉」の30.5%)

放映当初は題材が徳川吉宗、と聞いただけで、何て地味なドラマなんだと思いましたが、脚本は「独眼竜政宗」を書いたジェームス三木、主演が西田敏行という演技派俳優で内容も面白かったため、大ヒットを記録しました。
とりわけジェームス三木さんの脚本による力は大きいでしょうね。
「葵・徳川三代」では失敗してしまいましたが、「独眼竜政宗」をはじめ、ジェームス三木さんの脚本は面白いものが多いですから。

以上のように、題材が少々悪くても、脚本が良ければ成功するわけです。
何だか大河ドラマに関する文句や愚痴を長々と書きましたが、大河ドラマが好きで育った世代ですので、どうぞご容赦ください。

大河は大きくリニューアルすべきですね。
ちなみに、NHKで放映されていた韓国ドラマ「馬医」は、めちゃくちゃ面白かったです。
「馬医」のように、大河ドラマもフィクションという大前提に立って、あれくらい思いきりやれば良いと思うんですけどね。
昨今の大河ドラマのように、変に史実っぽく見せようとするるから駄目なんだと思います。
史実通りにするなら徹底的に忠実に(これはこれで絶対に面白いはずです)、史実を無視するのであれば、中途半端にしないで、大きな史実だけは守り、後は好き勝手やれば良いと思うんですが、いかがでしょうか?

【2015/04/03 17:16】 | 雑感
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前々回の仙台牛タン話の続きという訳ではありませんが、現在、NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」が、土曜日の夕方にNHKのBSプレミアムで再放送されていますね。
「独眼竜政宗」と言えば、歴代大河ドラマの中でも平均視聴率トップの39.7%を記録した大人気番組です。
主役の渡辺謙さんを始め、脇役も豪華な俳優陣で固められ、脚本も良かったですし、ドラマ自体にも重厚さがあり、ほんと面白かったです。
放映当時、私も楽しみに見たくちですが、今また再放送を見直しても、やはり面白いですね。

しかし、最近の大河ドラマは何であんなに面白くなくなってしまったのでしょうか?
少し私的に分析すると、大きく分けて次の三つに原因があるのではないかと考えています。

1.題材が悪い(いわゆるネタ切れ状態に陥っている)
2.出演俳優が小粒過ぎる(ジャニーズなど、若手俳優を起用し過ぎ)
3.脚本が面白くない(オリジナル脚本が多いため)

1の題材ですが、歴史上に名を残した有名人(いわゆる大物)は、既にやり尽くした感がありますね。
戦国時代で言えば、今さら信長・秀吉・家康を中心にする訳にもいかず、かと言って、脇を彩る武将たち(武田信玄、上杉謙信、前田利家、伊達政宗等)もかなり放映されましたし、やはり絶対的な題材不足に陥っているのではないかと思います。

現在放映中の「軍師官兵衛」は黒田如水が主人公ですが、やはり小粒感は否めないですね。
私も最初の数回だけを見て、結局見るのを止めてしまいました。
また、昨年の「八重の桜」もかなり我慢して見ましたが、途中で見なくなりました。
「軍師官兵衛」、「八重の桜」ともに視聴率的にふるっていないようですが、やっぱり題材に問題があったのだと思います。
特に「八重の桜」、いや山本八重子の生涯が面白くないと言っているのではなく、彼女の生き方は波瀾万丈なのでしょうが、一年を通じてドラマで放映できるような題材ではなかったのではないでしょうか。
そう言えば、「八重の桜」では、会津戦争(会津戊辰戦争)がどのように描かれたのかを結局見ずじまいに終わりました。

来年は吉田松陰の妹である文を主人公とした「花燃ゆ」が放映されるようですが、ついに大河ドラマもここまで来てしまったか……、とまさにため息が出ますね。
果たしてこの題材で一年持ちますかね?
「八重の桜」の山本八重子と比べるまでもなく、歴史上から見れば、文は何もしていないに等しい人物ですし、一体、文が幕末・明治の歴史にどう絡んだというのでしょうか?
おそらく、大河ドラマにありがちの色んな歴史の重要な場面に文が登場し、キーパーソンとなるのでしょうが、それは余りにも無理がある設定だと思えてなりません。

もしかすると、文は松下村塾で久坂や高杉らと一緒に学ぶのではないでしょうか?
もしかすると、文は処刑された松陰の遺体を桂小五郎らと一緒に運ぶのではないでしょうか?
もしかすると、高杉晋作の功山寺挙兵の場に文が立ち会うのではないでしょうか?

考えれば考えるほど、恐ろしい設定になりそうです(苦笑)。
文をやるなら、朝ドラの方が良かったのではないかと思いますね……。

「花燃ゆ」だけでなく、「江-姫たちの戦国-」や「八重の桜」もそうですが、この一連の女性が主人公となる流れは、やはり「篤姫」が当たったことによるのでしょうね。
(女性が主人公になることを駄目だと言っているのではありませんので、悪しからず)
「花燃ゆ」も「篤姫」の二番煎じを狙っているのでしょうが、そんなに世の中甘くないと思いますし、女性を主人公とするならば、もっと他にも相応しい人物がたくさんいるんじゃないかと思えてなりません。
おそらく来年の大河は一話も見ずに終わることでしょう(苦笑)。

【2014/12/26 13:44】 | 雑感
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福太郎
こんにちは。

私もながく大河見ない時代がありました。
篤姫でまた見るようになって、次の年からまた見なくなりましたね・・・

見なくなったのは、時宗から。和泉元彌のへたくさな演技に嫌気がさしてからです。

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高倉健さんに続いて、菅原文太さんもお亡くなりになられましたね。
どちらかと言うと、私にとっては、高倉健さんよりも菅原文太さんの方が身近な存在であったと言いますか、出演された映画をかなり観ていたので、非常にショックでした。

菅原さん主演の映画と言いますと、まず第一に『仁義なき戦い』が挙げられますが、私は『トラック野郎』の方が好きです。
もちろん『仁義なき戦い』も好きではあるのですが、『トラック野郎』シリーズで演じた菅原さんの演技がとても好感が持てると言いますか、人情と愛嬌を併せ持った愛すべきキャラクターでしたので。
実は以前からずっと買うかどうかを迷っていたのですが、菅原さんの死を機に、映画『トラック野郎』のブルーレイBOXを購入しました。(1と2合わせて、何と4万以上もする代物ですが、思い切って買いました)

若い方はご存じないかもしれませんが、『トラック野郎』は菅原さんの主演で、昭和50年から55年にかけて、全10作が作られた東映映画の大ヒットシリーズです。
そのタイトル通り、長距離トラックを運転するドライバーが主役の映画で、菅原さんは「一番星号」と名の付いた10tトラックを運転する主役・星 桃次郎を演じました。
菅原さんの他にも、相棒の「やもめのジョナサン」こと愛川欽也さん以下、多彩な共演者が登場し、恋あり、笑いあり、涙ありで本当に面白い娯楽映画に仕上がっています。
映画の中には必ず「決め」(決まったパターン)があり、お腹を抱えて笑えるシーンが満載ですし、デコトラ(デコレーショントラック)を使ったカーチェイスもこの映画の売りになっており、車好きにとってもたまりませんね。

また、同時期に公開されていた松竹映画の『男はつらいよ』とはライバル関係にあったことから、少しストーリー展開は似ています。(トラック野郎も男はつらいよと同時期、お盆と正月に公開されていました)

主人公が恋するマドンナが必ず現れること。
主人公と敵対する恋敵やライバルが登場すること。
そして最後に失恋してしまうこと。

以上のように、『男はつらいよ』とよく似ていますが、それでも似て非なるもの、全くの別物です。
お菓子に例えるなら、『男がつらいよ』が上品な羊羹だとしたら、『トラック野郎』は破れまんじゅうといった感じでしょうか。
『トラック野郎』は見た目はあれですが、中味はとても充実していますので。

ただ一点、映画の中は下ネタ全開なので、女性の方が見るには少し抵抗があるかもしれませんが、それを省いたとしても、ちゃんとしっかりした芯のストーリーがありますので、飽きずに見られるのではないかと思います。

そう言えば、今年5月に『トラック野郎』の全シリーズを監督した鈴木則文さんもお亡くなりになられましたね。
鈴木監督が生前に書かれたエッセイ本『トラック野郎風雲録』(図書刊行会、2010年)と『新トラック野郎風雲録』(ちくま文庫、2014年)も裏話満載で、『トラック野郎』好きにはオススメです。

何だか『トラック野郎』のことに話が偏ってしまいましたが、高倉健さんと菅原文太さんという、昭和を代表する二人の名優の死によって、昭和という時代が完全に終わりを告げたような感じがして、何だかとても寂しい気分です……。

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【2014/12/04 10:57】 | 雑感
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前々回に書きました、「国の難病対策について」ですが、それとは少し離れますが、もう一点、この4月から改正が行われた「障がい者認定の見直しについて」についても少し思うところがあり、書きたいと思います。

私は一昨年の冬、前々回に書いた心臓病が原因で、胸にICDという機械を埋め込みました。

「胸にICDが入っているんです」

と言うと、決まって「あっ、ペースメーカーですか?」と言われるのですが、ICDと心臓ペースメーカーは根本的に全く違うものです。
ご存じない方も多いと思いますので、まずはそのことから書きたいと思います。

心臓ペースメーカーというのは、心筋(心臓の筋肉)に電気刺激を加えることによって、収縮活動を促す(補助する)ためのもので、つまりは脈が極端に遅くなる(徐脈)など、心臓が正常に収縮しないような事態が起きた際、電気刺激を与えて心臓の動きを手助けするためのものです。

一方、ICDはと言うと、これは「植込み型除細動器」と呼ばれるもので、心臓が痙攣するような不規則な動きを生じる、いわゆる心室頻拍や心室細動などの心臓停止を伴う致死性の不整脈が生じた際、心臓に大きな電気的ショックを与えて、心臓の働きを元に戻す(回復させる)ためのものです。
AEDの体内版だと考えると想像が付きやすいかもしれませんね。

以上、読み比べられると分かるかと思いますが、この二つの機械の役割は根本的に違っています。
この二つの機械の性質は、全く別物と言って良いでしょう。
ペースメーカーが「心臓が正常に動くように手助けするもの」、つまり転ばないように常に持ち歩く「杖(つえ)」のようなものに対し、ICDは杖のように、転ばないようにするためのものではなく、転んでしまった時に頭を打たないように敷くクッションのようなものと言えば良いでしょうか、つまり命にかかわる危険が生じた際、心臓を蘇生させるために働くものであるということです。

この二つの機械の違いを理解して頂いた前提で、話を進めますが、今年の4月1日から、障がい者認定基準の見直しが全国的に行われました。
これまで心臓病を理由に、ICD及び心臓ペースメーカーを体内に埋め込んだ人は、無条件で「障がい者1級」に認定されていたのですが、民主党政権時の平成24年、とある民主党議員の発言がきっかけで、その基準が見直されることになりました。
その民主党議員は、国会内の予算委員会の中で、

「身体障がい者1級に認定されている人達の中で、1級に問題があるのではないかと思われる人達がいる。例えば、ペースメーカーを埋め込んでおれば、もう心臓が止まることは無いので、平気でゴルフなどをしている人達がいる。これは問題である」

といった趣旨の質問を厚生労働大臣にし、障がい者認定の基準を見直そうとする動きが始まったのです。
そしてその結果、今年の4月、障がい者認定基準の見直しが正式に決定しました。
結論から先に書きますと、この認定基準の見直しにより、次のような変更が生じました。

ICD及び心臓ペースメーカーを体内に埋め込んだ人は、埋め込んだ直後は1級に認定するが、それは継続的なものではなく、三年毎に再認定を受けなければならない。
再認定の際、ペースメーカーやICDへの依存度(病状)により、再度1~3級に認定される。
つまり、機械を入れた直後は一級にするが、三年毎に再認定をして、機械を入れて病状が良くなった人、元気になった人は障がい者認定を軽くしますよ、ということです。
この話、一見ものすごく妥当なもののように見えますが、私はそうとは思えません。
確かに、心臓ペースメーカーの場合は、その病状の軽重にもよりますが、一旦体内に埋め込んでしまえば、機能不全を起こしていた心臓は機械の手助けで蘇り、元気だった頃のように、何の障害や不自由もなく、普通に生活できる人はたくさんいます。
QOL(Quality Of Life)、つまり生活の質は向上・改善し、国会内で話題となったゴルフどころか、テニスやランニングなどの割りと激しいスポーツをしている人さえもいます。

しかしながら、ICDはそうではありません。
これまで書いてきたとおり、心臓ペースメーカーは病状を一種改善させるためのものですが、ICDはそうではないからです。
例え体内に機械を埋め込んだとしても、その病状に何ら変化はありません。
ICDを埋め込んだから心臓が良くなる訳でもないからです。
つまり、ICDは病状を改善するために埋め込まれるものではなく、死の危険が迫った時のことを考えて、死なないための最終手段、命の綱として埋め込まれているということなのです。

言葉は悪いですが、ICDは心臓ペースメーカーとは違い、言わば体内に時限爆弾を仕込まれているようなものです。
ICDを埋め込まれた患者は、いつ致死性の不整脈が出て、大きな電気ショックが起きるかもしれないという不安が常につきまといます。
心臓ペースメーカーとは違い、ICDを埋め込んだ患者の多くは、常に精神的に不安なものを胸に抱えながら生きていると言えましょう。
私なんかは開き直って、平然とパチンコなどにも行きますが、その精神的不安から、仕事が続けられなくなったり、家から出られなくなって、引きこもる方も多いそうです。

少し長くなりましたが、今回の「障がい者認定基準見直し」の一番理解しがたい点は、心臓ペースメーカーとICDを一緒に取り扱っているということです。
何度も書きましたが、この二つの機械は機能からしてまるで別物であるのに、心臓病のために埋め込まれている、という理由だけで、混同され、同じようなもののとして取り扱われているのです。
ICDを埋め込めば、さも病状が回復するかのような幻想を抱かせる、今回の改正は全く納得がいくものではありません。
私自身はこういった病気になるまでは、心臓ペースメーカーの役割もICDの存在も、全くと言って良いほど何も分かっていませんでしたが、自らがそういう立場になり、色々と見えてくることが多いです。


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【2014/07/25 16:19】 | 雑感
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先月の5月23日、新聞各紙等マスコミにおいて報道されていましたが、「難病医療法」と「改正児童福祉法」が参議院本会議で可決、成立しました。

余り聞き覚えのない法律名ですので、ご存じない方も多いのではないかと思いますが、この二法は、病気の原因が分からず、効果的な治療法が確立されていない、いわゆる「難病」を患った患者と慢性疾患を患う子供達のための医療費助成の対象を拡大するための法案として成立したものです。
これにより、これまで難病として指定されていた56疾患(患者数およそ78万人)が大幅に増えて、約300疾患(患者数およそ150万人)が医療費助成の対象となるそうです。

私はこのニュースを聞き、非常に喜ばしいものだと感じていたのですが、実はその陰に隠れて、これまで既に難病指定を受けていた患者の医療費負担が著しく増大するという事実があることについては、余り触れられていません。
今回はその件について、少し思うところを書いてみたいと思います。

実は私自身、国が指定している難病、正式には「特定疾患治療研究事業対象疾患」の56疾患に含まれている病を患っています。
このブログを始める際、一番最初に書きましたが、約5年前の夏、私は「閉塞性肥大型心筋症」という心臓病の診断を突然受けました。
私自身は病気とはほぼ無縁の存在で、これまで一度として心電図に異常があるとか、心臓が悪いと言われたこともなく、また一切の自覚症状が無かったので、その診断はまさに青天の霹靂というべきものでしたが、この「閉塞性肥大型心筋症」も原因不明の病気であり、確たる治療法が無いことから、国から難病に指定されているのです。
現在の日本の医療制度では、特定疾患(いわゆる難病)に罹患している患者は、国から医療費助成を受けられる対象者に指定されています。
難病の治療にかかる高額な医療費の負担を軽減させるための制度というわけです。
私の場合で言うならば、心電図や心臓エコー、血液検査等の検査を定期的に受けなければならないこと、また現在服用している薬が非常に高額なものであることから、この特定疾患医療費助成制度にはとても助けられているのですが、今回の法改正が実施されると、毎月の医療費の負担が跳ね上がります。

今回、国(政府)がこのような法改正を行おうとした理由は、難病の対象疾患を拡大することにより、より多くの難病患者を救おうとする試みからです。
その趣旨には大賛成で全く異論もないのですが、問題はここからです。
国は財政的な理由をもとにして、「広く浅く」、つまり医療費助成を受けられる人達を多く認定はするが、給付する助成額はこれまでよりも少なく留める、という改革をしようとしているのです。
平たく言えば、これまで医療費の負担をさせていなかった患者から、医療費を取るようにし、その取った医療費を元にして、他の難病患者にも助成できるようにしようということです。

はっきり言って、この考え方は「本末転倒」です。
国(政府)は「公平性」ということを声高に叫んでいますが、こういった問題は「広く浅く」ではなく、「より広く、より深く」しなければならないものだと思えてなりません。

「対象者は増やすが、その分はみんなで公平に負担してね」

聞こえは非常に良いですが、この考え方は、すなわち「支出する金額(予算額)はこれまでと同等レベルに保ちたい」という財政面(予算確保)ありきの考え方であることは間違いないでしょう。
これっておかしいですよね?
難病に苦しむ患者達のことを考えて対象を広げようとする法改正に見せておきながら、その実、国(政府)はこれまで以上の医療費の負担をするつもりはないのです。
つまり、財政的なことをまず念頭に置き、帳尻を合わせている施策なのですから。

財政難、財政難と言い、消費税を上げて国民に大きな負担を強いておきながら、非常にくだらないことに今なお高額な予算を支出し、また国会議員の定数削減など、自らの身を切るような改革を一切しない(しようとしない)現状を考えると、腹立たしさを通り越して、呆れかえるばかりです。
なぜそういった無駄なお金を湯水のように使っておきながら、こういった国民の生命・財産にかかわる重要な問題に予算をもっと充てようとしないのか、理解に苦しみます。

財政難を理由に削られる予算は、決まって年金や医療といった、福祉面からばかりの現状に対し、国民はもっと怒るべきだと思います。
欧米社会なら、こんなことを国がしようものなら、大規模なデモが起こりかねません。
にもかかわらず、日本国民は従容としてそれらを受入れるのですから、理解ある国民と言うよりも、言葉は悪いですが、お人好し以外の何物でもありません。

誤解を招くといけないので最後に書きますが、私は自分自身の医療費負担が増えることを憤っているわけでは決してありません。
私など非常に恵まれた方だからです。
普通に仕事に就くことができ、毎日働いて給料もちゃんともらって、生活していますから。

しかしながら、病気が原因で働きたくても働くことが出来ない人達や毎月数万円にも上る高額な医療費を払い続ける人達に対し、これ以上の医療費負担を強いるとは、国は一体何を考えているのでしょうか?
それを考えると、ほんと腹立たしくて仕方がありません。
難病指定の拡大により、多くの難病患者達が救われることは非常に喜ばしいことではあるのですが、はっきり言って、政府の方針には、全くの誠意は感じられません。


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【2014/06/17 08:26】 | 雑感
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先日のゴールデンウィークに鹿児島に行った際、鹿児島市内の某古書店に立ち寄ったのですが、そこで鮫島志芽太さんの著書『西郷南洲語録-決断力・行動力をどう身につけるか』を見つけました。

鮫島志芽太さんは、今から7年前の平成19年5月に既にお亡くなりになられていますが、鹿児島の南日本新聞の元記者で、退職後は西郷隆盛を中心に、鹿児島の歴史に関する著作を数多く著した、西郷研究家の間ではとても著名な人物です。
その著作の中でも代表的なものを挙げると、

『日本でいちばん好かれた男―ねうちある生きかたを求めて』
『国にも金にも嵌まらず―西郷隆盛・新伝(上・下)』
『西郷隆盛の世界と国の運命・人の運命』
『西郷南洲の真髄―その人望と言行の独自性』

などがあります。
また、その他にも、西郷南洲顕彰会発行の『敬天愛人』誌に数多くの論考をお書きになられています。

鮫島さんの著作については、私も好きで昔よく読みましたが、今回発見した『西郷南洲語録-決断力・行動力をどう身につけるか』については未読であったため、購入しようとしたのですが、値段を聞くと、定価550円の新書サイズの本が何と1800円もしたのです。
見たところ本の状態も余り良くなく、新書本が1800円とは高額過ぎると考え、その時は買わなかったのですが、大阪に戻ってきてから、どうにも欲しくなってしまい、amazonの古書で値段を調べると……、何と3万円以上もするではありませんか!

最近特に思うのですが、amazonやその他のネットオークションの古書の値段は、めちゃくちゃですね。
古書でも希少価値がある本が高いのは理解できますが、そうではないものまで高額で売られているのをよく見かけます。
確かに、世の中にはいくら出しても欲しい人がいるわけで、そういった人達の足元を見るような、どうも儲けばかりを考えているとしか思えない本が非常に多いです。
ブックオフなんかに行くとよく見かけますが、100円コーナーでスマホ片手に古書の相場を調べている人がいますね。
いわゆる「せどり」です。
100円コーナーの中に古書相場が高い本が無いかを一冊ずつ調べ、そこで安く仕入れて、オークション等で高く売るというわけです。
そういった光景を目にすると、いつも何だか複雑な気分になりますね。

閑話休題。
話が少しそれましたが、鮫島さんの本については、まさかamazonで買うわけにもいかず、どうしようかと悩んでいると、何とこれまた偶然に、大阪市内の古書店に在庫があることが分かり、しかも値段が1000円と安かったので、早速購入しました。
結果的に鹿児島で買わなくて正解でした。まさに灯台もと暗しですね。(ただ、本当は1000円でも少し高い気がしますけどね)

さて、『西郷南洲語録』についてですが、まだ途中なのですが、私としてはとても面白く読んでいます。
その内容は、西郷が書き残した漢詩や手紙、そして語った遺訓などの中から、人生の教訓になりそうなものを厳選して紹介し、分かりやすく解説を加えたものです。

私も齢を重ねて、最近つとに思いますが、歴史とは人が生きていく上で、とても大切な指針となるべきものだと感じられてなりません。
歴史を学び、そして様々な事件や出来事、歴史上の人物が直面した問題や抱いた悩み、そしてそれをいかに克服し、行動したのかなどを知ることによって、自らの人生の振り返る機会にもなりますし、また今後の人生の指針になるべきものを見いだすことも出来ます。

『大鏡』や『増鏡』のように、古来歴史書に「鏡」という名が付いたのは、歴史とは人間自身を写す鏡でもあったからだと思います。
歴史に照らして、これまでの己の生き方を俯瞰し、自らに足りなかったものやこれから必要なものを自覚する。
歴史を知るということは、これからの生き方を知ることでもあると私は思います。

【2014/05/28 12:20】 | 雑感
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久しぶりのブログ更新です。
別段体調が悪かった訳でもないのですが、ブログって、難しいですよね。
なかなか書く話題が見つからなくて(^^;
毎日更新している人は、ほんとスゴイなあ、と思います。

さて、今年のゴールデンウィークに久しぶりに鹿児島に行くことにしました。
一年ぶり?でしょうか、久しぶりの鹿児島行きなので今から楽しみにしています(^^)
余り時間は無いのですが、今回は久しぶりに「西郷野屋敷跡」に行こうかと思っています。
鹿児島市内に西郷の屋敷跡はいくつかありますが(いずれも建物は残っていませんが)、西別府町にある「西郷野屋敷跡」は、青年期の西郷の生活を身近に感じられる唯一の場所とも言えます。

西郷家に限らず、当時の薩摩の下級武士たちの家計は、みな火の車と行って良いほど困窮し、貧乏に堪え忍ぶような生活をしていました。
西郷家の身分は士分でも下から二番目の御小姓組であり、その禄高は四十七石でしたが、幕末の頃には無高に近い状態であったと言えるでしょう。
そのため、西郷家では家計の足しにするべく開墾をしたわけです。
働かざる者喰うべからずと言うよりも、武士であったとしても、開墾でもしなければ食べて行けなかったのでしょう。
「西郷野屋敷跡」は、そんな若き日の西郷が汗水流して働いた場所であり、また西南戦争時には糸子夫人ら西郷家の家族が避難した場所でもありました。

と、言うわけで、久しぶりに野屋敷跡に行ってみたいと思います。
皆さんも良い休暇を!

【2014/05/02 08:28】 | 雑感
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