西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 鹿児島出身の歴史作家・海音寺潮五郎氏の名著『史伝 西郷隆盛』が、2月に文春文庫から復刊されます。
 おそらく来年のNHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』を見越しての復刊だと思いますが、長らく絶版になっていたので嬉しい限りです。

 この度復刊される『史伝 西郷隆盛』は、岩波書店発行の雑誌『世界』に、昭和36年1月号から昭和37年4月号まで連載されたものをまとめたもので、これまでに旺文社文庫と文春文庫から刊行されました。
 前回、文春文庫から再刊されたのは、同じくNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の放映が決まった時のことでしたので、25年以上の時を越え、今回も同じような形で復刊されるということです。

 『史伝 西郷隆盛』は、いわゆる海音寺氏の遺作となった、大長編史伝の『西郷隆盛』(朝日新聞社刊。全九巻)とは別の作品ですが、その基礎になったものだったと言えます。
 海音寺氏は、『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第一巻の「あとがき」の中で、


「作家は小説でも、年が立てば書き直したくなるものですが、史伝はとくにそうです。史伝は一面から言えば研究ですから、研究が進むにつれて、どうしても考えがかわって来ます。書き直さざるを得ないのです」


 と書かれていますが、「史伝は一面から言えば研究である」というスタンスを生涯貫き通されました。

 史伝文学とは、作中に一切のフィクション(虚像)を交えず、史実(歴史上の事実)のみを徹底的に追求することによって成立する文学形式です。
 史伝は一般的な小説とは異なり、一度完成してしまえばそれで終わりというわけではなく、新たな史料の発見や作者自身の人生経験の積み重ねによる、考え方や解釈の変更などが生じた際には、書き直しが必要となる文学と海音寺氏は定義付け、自身の西郷隆盛に対する研究が深まるにつれ、自身の史伝作品を何度も何度も書き直されました。
 つまり、海音寺氏の描く『西郷隆盛』という史伝は、まるでワインのように、時が経つにつれ、熟成されていった作品群だと言えるのです。
 このような海音寺氏の史伝に対する真摯な態度とそれにかける情熱が、最終的に大長編史伝『西郷隆盛』(朝日新聞社刊。全九巻)へと結びついていくわけですが、その基礎になったとも言える作品が、今回復刊される『史伝 西郷隆盛』です。

 『史伝 西郷隆盛』は、西郷家の始祖・菊池家にまつわる話から始まり、西郷隆盛の誕生、永遠の師である藩主・斉彬との出会い、将軍継嗣問題への奔走、そして僧・月照との自殺未遂を経て、奄美大島への潜居に至るところで話が終わります。西郷の前半生が詳しく、そしてダイナミックに描かれており、西郷のことを知らない一般の方に対しても、読みやすくそして分かりやすい作品に仕上がっています。
 来年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』の予習にもなると思いますので、今回の復刊を機に、是非一読をおすすめします。

14859294750570.jpg
(以前に刊行されていた『史伝 西郷隆盛』二冊)
スポンサーサイト

FC2blog テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2017/02/01 18:00】 | 西郷隆盛
トラックバック(0) |
 ホームページ内に設けている「鹿児島史跡旅行案内」と「鹿児島イベント情報」を大きくリニューアルしました。

 まず、「鹿児島史跡旅行案内」ですが、掲載している情報が随分古いものとなっていましたので、この度全面的に書き直しました。
 従来、鹿児島の史跡巡り案内のページは、「鹿児島史跡旅行案内」と「鹿児島史跡巡り もっともっと詳細版!」の2つに分けていましたが、それを分かりやすく1つに統合し、掲載写真も新しいものに変え、内容も全面的に書き改めました。
 なお、近日中に、ページ内にgoogleマップを埋め込み、場所等をより分かりやすく表示したいと考えています。

 次に、「鹿児島イベント情報」ですが、これまた随分古い情報を載せたまま放置していましたが、今後は鹿児島の歴史関係イベントを掲載していきたいと思います。
 手始めに、2年後に迎える明治維新150周年の関連イベントや黎明館関係等のイベントを掲載しました。
 掲載したイベントは下記のとおりです。


幕末薩摩外交-情報収集の担い手たち-
開催期間:平成28年5月24日(火)~9月11日(日)※現在開催中
場所:鹿児島県歴史資料センター黎明館3階企画展示室
参考URL:https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/


青少年「薩長同盟」フォーラム
日時:平成28年8月11日(木・祝日)
場所:鹿児島県歴史資料センター黎明館2階講堂
参考URL:https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/


大阪検定・大阪企業家ミュージアム連携事業
五代友厚を学ぶ連続講座
第1回「五代友厚のチャレンジとイノベーション(鹿児島編)」
日時:平成28年8月26日(金)
場所:大阪企業家ミュージアム(大阪市中央区本町1-4-5大阪産業創造館地下1階)
参考URL:http://www.osaka.cci.or.jp/event/seminar/201606/D25160826017.html


明治維新150周年記念シンポジウム
日時:平成28年10月22日(土)
場所:鹿児島市民文化ホール(第2ホール)
参考URL:https://www.pref.kagoshima.jp/aa03/kensei/sesaku/m150sympo.html


 どれもこれもワクワクするイベントですね。
 イベント会場の近隣にお住いの皆様やご興味がある皆様、是非足を運んで頂きたいと思います。
 私も可能な限り参加したいと考えています。

 ※上記イベントについては、念のため主催者発表の情報と照らし合わせてご確認ください。

【2016/08/02 20:06】 | 西郷隆盛
トラックバック(0) |
本日、ホームページを更新しました。
ものすごく久しぶりと言いますか、約7~8年ぶりの更新です。

私にとってこの約8年間というのは、大きな転機となったことは確かです。
7年前に思いもかけない形で心臓に難病が見つかり、長期入院したのをきっかけに、一度その病気が原因で死の淵を彷徨うことにもなり、自分で振り返っても、ほんと大変な年月だったなと思います。

これは言い訳にしか過ぎませんが、このような状態であったことから、正直、ホームページの更新まで気が回りませんでした。
なかなかやる気が起こらないと言いますか、ホームページ用の文章はいくつも出来上がっているのに、更新の作業をすることが、一種億劫になっていたような気がします。

おそらく気持ちの問題なのでしょうね。
心に余裕が無いと、他のことに気が回らなくなると言いますか。
そう考えると、改めて「健康」って大事だことだな、と思います。
健康であるか否かによって、人間のモチベーションは、自ずから変わってくるものでしょうから。
また、私のように元気で飛び跳ねていた人間が、急にそういう状態に陥ることになるのですから、人生ってほんと不思議なものです。

と、何だか暗い話になってしまいましたが、私もそう悲観的には捉えておらず、毎日前向きに過ごしておりますのでご心配なく(^^)

さて、今回、ホームページ内にアップしたのは、下記の4つの内容です。


テーマ随筆第16回「征韓論について(前編)及び(後編)」
我が愛すべき幕末第22回「大政奉還について」
西南戦争の十一人第6回「天性の軍略家・野村忍介」
走れ!吉之助「使徒襲来―ドリンクバーを巡る攻防戦」


いずれも随分以前に書き終えていたものばかりで、征韓論からドリンクバーで起こった事件のことまで、硬軟入り混ぜていますが、ご興味のあられる方は是非お読み頂けると嬉しいです。

【2016/05/02 19:18】 | 西郷隆盛
トラックバック(0) |
先日、と言っても、かなり前のことですが、BS-日テレで放映された、

「西南戦争をめぐる新推理! 西郷隆盛暗殺計画の真相を追え!」

というテレビ番組を見ました。
この番組は、歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが司会進行を務める「解明 片岡愛之助の歴史捜査」の第2回目で、だいぶ前に録画していたものをようやく見たのですが、今回はその感想を少し書きたいと思います。

まず、番組タイトルから、かなり期待して見たのですが、「西郷隆盛暗殺計画の真相を追え」という副題が付いているわりには、そのことに関する言及が少なかったように思います。
番組の約4割くらいは「西郷隆盛の写真の謎」の話でしたので。
ご覧になられた方はお分かりかと思いますが、その内容は、近年出版された、

斎藤充功『消された「西郷写真」の謎:写真がとらえた禁断の歴史』

を元にした考証でした。

西郷写真の有無に関しては、これまで数えきれないほど話題にのぼった話ですが、「結局は一枚も存在しない」というのが真相であり、結論であるかと思います。
非常に有名なエピソードですが、西郷は明治天皇から写真を所望された際にもそれを断っています。
西郷が敬愛した明治天皇にさえ、そのような態度をとっていることからしても、やはり西郷は、写真を一枚も撮っていないというのが真相だと思います。

また、西郷写真の有・無が、どうして西郷暗殺計画に繋がるのか? そもそも疑問ですが、番組内では、

「西郷という人物を直接見たことのある、あるいは知っている人物は、鹿児島にはそうたくさん居なかった。実際に西郷を見て、知っている数少ない人物の中に、密偵の一人で、西郷暗殺計画を自供した中原尚雄がいる。彼が暗殺者として選ばれるに到ったのは、西郷の顔を知っていたからだった」

みたいな話になっていましたが、少しこじつけに近いですね。。。

いわゆる「東獅子」と呼ばれる、警視庁から派遣された密偵による「西郷暗殺計画」が本当にあったのかどうかについてですが、番組内では、当時の鹿児島県裁判所の判事7人が、停戦と暗殺事件の真相解明を直訴した明治天皇宛の上奏文(密訴)を証拠としてあげ、暗殺計画は真実であり、また、その黒幕は、大久保利通だったという解釈をおこなっていました。

判事が西南戦争解決訴え 明治天皇宛て文書発見
(2012/06/24 付け「47トピックス」)
http://www.47news.jp/47topics/e/230817.php

まず、当時の裁判所の判事がそういった直訴をおこなった点ですが、はっきり言ってしまえば、当時の鹿児島県は、行政機関のトップであった県庁を筆頭に、警察などの組織も全て私学校党に握られている状況でしたから、裁判所の判事が揃って直訴したことをもってして、それが真実であったとするのは、少し無理がある解釈だと言えましょう。

また、大久保が暗殺計画の黒幕であったという説についても同じです。
西郷と言えば大久保、西郷対大久保、大久保対西郷と、明治維新後は常に対立構図で話されがちですが、二人は政治的に対立し、袂を分かったとは言え、お互いに憎しみの気持ちを抱くほど、険悪な関係であったとは考えられません。
いかに大久保が策士であったとは言え、簡単に西郷暗殺命令を出すような軽率な人物ではなかったでしょうし、大久保がそのような愚策を考えるはずも無かったと思います。
鹿児島の尚古集成館副館長の松尾千歳氏も、番組内で同じような趣旨の発言をされていましたが、もし、西郷を暗殺したとしたならば、その影響は計り知れなく、鹿児島全域が暴徒化することは必定だったでしょうから、大久保がそのような指令を出すことはあり得なかったと私も思います。

ただ、西郷暗殺計画が全く根拠が無かった話であったとも思えません。
暗殺計画を自供した中原尚雄やその話を直接聞いたとされる谷口登太の話などを総合して考えれば、密偵達に対し、「いざとなれば、西郷や私学校幹部と刺し違えてでも目的を果たせ」くらいの話は、大久保ではなく、大警視の川路利良からあったようには思います。
いわゆる「西郷暗殺計画」というものは、全く根も葉もない「シロ」と言う訳ではなく、「グレー」に近いものはあったと思うのですが、その指令が大久保から出ていたということは、やはり考えづらいですね。

【2015/08/17 12:14】 | 西郷隆盛
トラックバック(0) |
yahooのニュースを見ていたら、『歴史街道』(PHP出版)が「あなたの好きな「幕末維新」の人物 ランキング」というアンケート調査をしたようで、その結果が載っていたのですが、下記のような順位でした。

第1位 坂本龍馬 32.8%
第2位 西郷隆盛 9.0%
第3位 土方歳三 8.5%
第4位 高杉晋作 6.8%
第5位 勝海舟 6.6%
第6位 沖田総司 2.9%
第6位 吉田松陰 2.9%
第8位 近藤勇 2.0%
第9位 桂小五郎(木戸孝允) 1.6%
第10位 斎藤一 1.5%
第10位 松平容保 1.5%

龍馬が断トツにくるのは当たり前かと思いますが、西郷が2位とは!
嬉しいですね、この結果。
土方や高杉よりも上にくるなんて。

少し西郷評価の話をしますが、おそらく戦前に同様の調査を行っていれば、西郷は断トツの1位だったと思います。
戦前の西郷人気の凄まじさは改めて書く必要もないかと思いますが、太平洋戦争での敗戦後、その評価は一気に地に落ちました。
戦時中に大陸進出の象徴として崇め奉られた西郷は、日本の敗戦と共に歴史上から徹底的に叩きのめされたと言えるでしょう。
そのためか、「西郷隆盛」と聞くと、アレルギーを起こす人達が少なからずいます。
また、「征韓論」という言葉が一人歩きして、こうなってしまったとも言えるでしょうね。

話は変わって、だいぶ前の話になりますが、4月11日(金)に衛星放送のBS11で放映された、とことん歴史紀行2時間スペシャル「西郷隆盛~南の島に暮らした維新の豪傑 鹿児島・奄美~」を見たのですが、この番組、ちゃんとした歴史監修が入っているのか? と思うくらい、基本的な間違いが多かったですね。
微妙な間違いとかではなく、初歩的な間違い(例えば、島津久光を薩摩藩主と紹介していたり)が多かったので、見ていて少しビックリしました。

【2014/06/23 12:23】 | 西郷隆盛
トラックバック(0) |


ukoji
私も録画して観ました。
おっしゃる通り間違いがあるようでしたが
番組の雰囲気は個人的に好きでした。

30代後半になってはじめて西郷隆盛の真髄
がほんの少しわかるようになり勉強中の身です


tsubu
ukojiさん、はじめましてこんにちは。

確かに番組の雰囲気は良かったですね。
奄美での生活などにも重点をおいて構成されていましたし。

私も年齢を重ねる毎に西郷の魅力が分かってきた人間です。
今後ともよろしくお願いします。


鶴ヶ魂
この結果を見ていると、高杉や木戸、松陰ら長州勢の人気が意外とあるのに暗澹たる気持ちになりました。
まだ、日本には薩長史観が根強く残っているのですね。

コメントを閉じる▲
今日、9月24日は、西郷隆盛の命日です。
九州に住んでいた頃は、都合がつけば鹿児島に行っていましたが、大阪に住んでいる現在はなかなか気軽に行けなくなりました。
まずは、合唱して、冥福を祈りたいと思います。

さて、今年の八月のことですが、久しぶりに鹿児島に行きました。
以前は一年に二、三回は鹿児島に行っていましたが、最近は一年に一回程度ですね。(それでも、行っている方かもしれませんが・笑)
ただ、八月の鹿児島行きは、史跡巡りは全くすることなく、「そば茶屋 吹上庵」で大好きな「黒豚板そば」を食べ、家族サービスの一環で「かごしま水族館」に行っただけでしたが、鹿児島の街はほんと変わりましたね。

鹿児島だけに限らず、最近はどの地方都市も同じような姿に見えてしまうのは気のせいでしょうか。
イオンなどの大きなショッピングモールが郊外に出来、街の中心が空洞化を起こしながら、全国展開のチェーン店だけが軒を連ねる。
日本全国、街の特徴や特色がどんどん消えて無くなり、画一化が進んで行っているような気がしてなりません。
昔の鹿児島の街並みは、何かこう、なかなか言葉には言い表せませんが、南国情緒溢れていると同時に、重厚さがあって良かったんですけどね~。
私は鹿児島中央駅の存在自体が実は気に入らないのです。
あんなデザインの建物いりますか?
おまけに観覧車までついたりして……。
昔の西駅(西鹿児島駅)の方が良かったですね。(と、言ったら、鹿児島の人に怒られそうですが^^;)

と、こんなことを書いていると、昭和を懐かしむ男だと言われそうですが(^^;、明治維新後の島津久光も、こんな風な感慨を持っていたのかもしれません。
歳を重ねる毎に、だんだん久光の気持ちが分かるようになってきました(苦笑)。


続きを閉じる▲

FC2blog テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2013/09/24 08:45】 | 西郷隆盛
トラックバック(0) |

なつかしいです^o^
”華”煌めく
こんばんはv-22
西郷さんのお命日はお彼岸中なのですね。
比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行された
酒井雄哉さんはおととい9月23日に亡くなられました。
お彼岸の期間中に亡くなるのは、
霊的に高い方だと聞きます。
どちらも偉大な方ですね。

昔大阪に勤めていた頃、
会社の専務が、鹿児島の
社員の実家に行かれたのですが、
帰社早々、
「○○君の家は、アメリカ西部みたいなとこにあった。
車がどこまで走っても同じ景色やった!」
とのたまい、爆笑でした。
街を外れると広い土地が続いていたそうです。
今はそんなところも開発されているのでしょうか?
また、鹿児島出身のお友だちは、
火山灰が雪のように積もるといっていましたが、
今年は大変だったのではないでしょうか?



tsubu
こんにちは。

昔は、鹿児島市内以外はそんな感じだったのかもしれませんね(笑)。
今はだいぶ開発されてきていますが。

今年は桜島も大爆発を起こしましたので、すごい降灰だったと聞きました。
実は僕が鹿児島に行った時も、結構灰が降っていたので、「あれ?」と思っていたら、大爆発だったので、やっぱりな、という感じでしたよ。


ダラオイリハ
私は西郷隆盛は三国志の劉備と共通点が多いと思います。ただし三國志演義では正史三国志の劉備ですが…。
両者ともに人を引き付ける器の持ち主ながら、それだけの人ではなく強かさ、そして時にエグイまでの非情さも併せ持つ、実に人として興味引かれる、面白い人だと思います。

ちなみに大久保は…家康の懐刀・本多正信にイメージが近いと思うのは自分だけでしょうか。

コメントを閉じる▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。