西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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最近、読書感想ばかりですが(^^;、藤波辰爾、長州力『名勝負数え唄 俺たちの昭和プロレス』(アスキー新書)を読了しました。

私は、新日本プロレス全盛時代の真っ直中に育った、テレビで食い入るようにプロレスを見ていた世代です。
当時は、金曜午後8時のゴールデンタイムにテレビでプロレス放送(しかも生放送)があった時代でしたから、世間がプロレスに熱狂していた第二次黄金期でしたね。(第一次は言わずとしれた力道山時代ですが)

そんな中、繰り広げられた藤波辰爾(当時は辰巳)と長州力の対決は、『名勝負数え唄』と呼ばれ、後々まで語り継がれる名勝負が多かったのですが、この新書では、二人の対談とそれぞれの簡単な自伝などが掲載されていて、当時、新日本プロレスファンだった人にとっては、たまらない一冊です。
実はこの新書と併せて、二人の対戦が収録されている、『燃えろ新日本プロレス』というDVD付き冊子の『vol.25 永遠の名勝負数え唄』まで買ってしまいました(笑)。
久しぶりに二人の対決を見ましたが、DVDを見ていると、当時を思い出しますね。
私は藤波派だったので、長州が大嫌いでしたが(長州派の方、すいません^^;)、今見ても二人の対戦はスピード感があって面白いです。

藤波さんは、アントニオ猪木二世とか猪木の後継者と言われて、何だかエリート街道を歩んできた人のように思われがちですが、実はすごく苦労人なんですよね。
中学を卒業後、地元の大分県で働きながら、日本プロレスに入門する機会を伺い、ようやく夢を実現させるのですが、藤波さんは元々レスリングの素地が全くなかった人なので、入門後は相当苦労したそうです。

反対に、長州さんは、例の「俺は藤波の噛ませ犬じゃない」という有名な「かませ犬発言」から、何だか底辺から這い上がってきた人のようなイメージがありますが、アマレス時代はミュンヘンオリンピックにも出場していて、藤波さんと比べると、レスラーとしてはエリートコースを歩んできた人です。
その二人がプロレス界では立場が逆になって、数々の名勝負を生み出したのですから、ほんと不思議ですよね。

と、当時のプロレスの話をしていたら、止まらなくなりそうです(笑)。
昨年出た新書ですが、新日本プロレスファンの方、オススメですよ!


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【2013/09/25 17:49】 | 読書感想
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今日、9月24日は、西郷隆盛の命日です。
九州に住んでいた頃は、都合がつけば鹿児島に行っていましたが、大阪に住んでいる現在はなかなか気軽に行けなくなりました。
まずは、合唱して、冥福を祈りたいと思います。

さて、今年の八月のことですが、久しぶりに鹿児島に行きました。
以前は一年に二、三回は鹿児島に行っていましたが、最近は一年に一回程度ですね。(それでも、行っている方かもしれませんが・笑)
ただ、八月の鹿児島行きは、史跡巡りは全くすることなく、「そば茶屋 吹上庵」で大好きな「黒豚板そば」を食べ、家族サービスの一環で「かごしま水族館」に行っただけでしたが、鹿児島の街はほんと変わりましたね。

鹿児島だけに限らず、最近はどの地方都市も同じような姿に見えてしまうのは気のせいでしょうか。
イオンなどの大きなショッピングモールが郊外に出来、街の中心が空洞化を起こしながら、全国展開のチェーン店だけが軒を連ねる。
日本全国、街の特徴や特色がどんどん消えて無くなり、画一化が進んで行っているような気がしてなりません。
昔の鹿児島の街並みは、何かこう、なかなか言葉には言い表せませんが、南国情緒溢れていると同時に、重厚さがあって良かったんですけどね~。
私は鹿児島中央駅の存在自体が実は気に入らないのです。
あんなデザインの建物いりますか?
おまけに観覧車までついたりして……。
昔の西駅(西鹿児島駅)の方が良かったですね。(と、言ったら、鹿児島の人に怒られそうですが^^;)

と、こんなことを書いていると、昭和を懐かしむ男だと言われそうですが(^^;、明治維新後の島津久光も、こんな風な感慨を持っていたのかもしれません。
歳を重ねる毎に、だんだん久光の気持ちが分かるようになってきました(苦笑)。


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【2013/09/24 08:45】 | 西郷隆盛
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なつかしいです^o^
”華”煌めく
こんばんはv-22
西郷さんのお命日はお彼岸中なのですね。
比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行された
酒井雄哉さんはおととい9月23日に亡くなられました。
お彼岸の期間中に亡くなるのは、
霊的に高い方だと聞きます。
どちらも偉大な方ですね。

昔大阪に勤めていた頃、
会社の専務が、鹿児島の
社員の実家に行かれたのですが、
帰社早々、
「○○君の家は、アメリカ西部みたいなとこにあった。
車がどこまで走っても同じ景色やった!」
とのたまい、爆笑でした。
街を外れると広い土地が続いていたそうです。
今はそんなところも開発されているのでしょうか?
また、鹿児島出身のお友だちは、
火山灰が雪のように積もるといっていましたが、
今年は大変だったのではないでしょうか?



tsubu
こんにちは。

昔は、鹿児島市内以外はそんな感じだったのかもしれませんね(笑)。
今はだいぶ開発されてきていますが。

今年は桜島も大爆発を起こしましたので、すごい降灰だったと聞きました。
実は僕が鹿児島に行った時も、結構灰が降っていたので、「あれ?」と思っていたら、大爆発だったので、やっぱりな、という感じでしたよ。


ダラオイリハ
私は西郷隆盛は三国志の劉備と共通点が多いと思います。ただし三國志演義では正史三国志の劉備ですが…。
両者ともに人を引き付ける器の持ち主ながら、それだけの人ではなく強かさ、そして時にエグイまでの非情さも併せ持つ、実に人として興味引かれる、面白い人だと思います。

ちなみに大久保は…家康の懐刀・本多正信にイメージが近いと思うのは自分だけでしょうか。

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私自身はそんなにお酒が強いタイプではありませんが、九州の宮崎県に住んでいた頃、よく焼酎は飲みました。
宮崎焼酎も色んな銘柄がありますが、何と言っても「黒霧島」が大好きですね。

余り知られていませんが、宮崎の焼酎は、アルコール度数が20度で、他の焼酎に比べると飲みやすいのです。(鹿児島なんかは25度)
なので、「黒霧島」も細かく分ければ、20度バージョンと25度バージョンが売られています。
「黒霧島」は水割りでもお湯割りにしても、どちらでも美味しいですよね。

霧島と言えば、「森伊蔵」のようなプレミア焼酎とまではいきませんが、「赤霧島」や「金霧島」というブランドもあって、単品ではなかなか手に入らず、抱き合わせ(つまり、黒霧島や霧島とのセット)で売られていることが多いのですが、以前、宮崎県北方の門川町のある店に行ったところ、「赤霧島」がバラで山積みで売られていたのでビックリしました。
買い込んでネットオークションで売ろうかと、ちょっと邪心を起こしたくらいです(笑)。

また、霧島以外の宮崎焼酎でしたら、「飫肥杉」という銘柄も飲みやすくてオススメですよ。
主に宮崎県の南方で飲まれている焼酎ですが、すっきり爽やかな後味の焼酎です。

ちなみに、鹿児島の焼酎「伊佐錦」の銘柄(文字)は、海音寺潮五郎が書いたものが使われています。
伊佐錦は、海音寺さんの故郷である旧大口市(現伊佐市)の焼酎であることからなんですよね。

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【2013/09/18 14:33】 | 雑感
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福太郎
こんにちは。
久しぶりに「敬天愛人」のホームページ訪れましたら、新しいブログが紹介されていて驚きました。

もっと驚いたのが、tsubuさんのこと。大変だったのですね。体調がと悪いことは書かれてましたが、想像以上の悪さで、ビックリいたしました。

とにかく、少し落ち着かれたようでなりよりです。

お体大切にしてくださいね。


tsubu
福太郎さん

おはようございます。ご無沙汰しております。
ブログへのご訪問、ありがとうございました!

そうなんです……。
結構大変でした(^^;
でも、西郷さんじゃありませんが、私がこうして生きている(生かされた)のも、天が私に生きろ!と言ってくれているものだと思いますので、これからも無理なくやっていこうと思っています。

また、最近の鹿児島のことなど、色々と教えて頂けると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします!

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三好徹『松岡洋右』を読み終えた後、松本清張の『随筆 黒い手帖』を読み始めています。

松本さんの作品はいくつか読んだことがありますが、恥ずかしながら、実は最後まで読み切ったものが一つもありません(苦笑)。
『清張通史』、『私説・日本合戦譚』、『史観・宰相論』、『昭和史発掘』、『日本の黒い霧』などの、いわゆるノンフィクション物を読んだのですが、いつも途中で挫折してしまうんですよね。
ご覧の通り、私が読んだものは全て小説ではないものばかりなので、それが原因か、初めは興味深く読み始めるのですが、段々としんどく無くなってきて挫折……。

ただ、今読んでいる『随筆 黒い手帖』ですが、これはなかなか面白いです。
松本さんの創作法(推理小説等の)や秘訣のようなものが書かれているエッセイ集で、これは初めて読み切れそうです、と言うか、とてもためになっています。

松本さんの推理小説は面白いだろうとは思うのですが、何か歴史関係で読みやすいオススメのものはないでしょうか?
と、言いながら、名著と言われている『昭和史発掘』を途中で挫折した私には難しいかもしれませんね(^^;

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(2005/04/25)
松本 清張

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【2013/09/17 13:00】 | 読書感想
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大阪の北堀江にある沖縄料理「てぃーあんだ」に行ってきました。
ここのランチバイキングは好きでたまに行っています。
私的には、すごくオススメです!

お店の場所は、大阪市営地下鉄「四つ橋」駅の近くにあり、ランチバイキングは90分制で1,000円です。
定番のゴーヤチャンプルーやトロットロに煮込まれたラフテー(豚の角煮)、沖縄そばといった料理がたくさんあって、1,000円は満足度が高いですよ。

そうそう、NHKの朝ドラ「純と愛」でも、このお店がロケ地になりました。
店内に熱帯魚が泳ぐ大きな水槽があるのですが、この前でロケが行われたんですよね。
画像は純と愛(夏菜さんと風間俊介さん)の二人のサインで、お店の玄関の壁に書かれています。
料理自体も美味しいですから、「純と愛」ファンは是非行ってみて下さい!

DSC_1058.jpg

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【2013/09/15 20:21】 | グルメ・食べ歩き
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本日、三好徹『松岡洋右』を読了しました。

三好徹さんは、私の好きな作家の一人です。
幕末・明治に活躍した人物に関する小説をたくさん書いておられる方ですが、特に桐野利秋を描いた『青雲を行く』は、私の好きな小説の一つです。

『青雲を行く』は、ほんとオススメですよ。
「人斬り」のイメージが強い桐野の印象が変わること請け合いです。
桐野利秋は、一種西南戦争のスケープゴートにされていると私は思っています。
西郷隆盛を批判できない人、批判したくない人たちが「西南戦争は桐野の戦争だった」みたいなことを言って、彼の評価を落としたと考えていますので。

少し話がそれましたが、あと『孤雲去りて』(板垣退助の小説)なんかも好きですね。
板垣の明治後の動きなんかが詳細に書かれていますので、とても興味深く読めますよ。
さて、『松岡洋右』ですが、わりと面白く読みました。
実は私自身、近代史には詳しくない、いや相当知識が欠けています(^^;
特に、大正から昭和にかけての歴史知識が浅いので、自分でも困ったものだと思っており、何とかその辺りの知識を補完しようと努力はしてはいるのですが、なかなか上手くいきません。
なぜなら、特にこの時期の歴史関係書は、作者の主観によって判断が大きく分かれますからね。
作者によっては、書いていることが真逆だったりしますので、どれが正しいのかを判断するのが、近代史に無知な私にとって、とても苦労します。

と、前置きはこの辺りにして、なぜ今『松岡洋右』を読んだのかと言うと、今年の7月に山口県に旅行したことがきっかけです。
山口に行くのは久しぶりのことだったのですが、山口では湯田温泉の「松田屋ホテル」に宿泊しました。
幕末好きの方なら説明不要だと思いますが、松田屋ホテルは、幕末・維新期の長州藩士達ゆかりのとても由緒ある旅館です。
ここに泊まるのが念願だったんですよね~。
邸内の庭園には、西郷や木戸(孝允)らが倒幕の密議をした会見所の建物なんかも残っており、幕末の雰囲気を味わえる場所ですよ。
「維新の湯」なんていう、幕末維新の志士達が入浴したと言われるお風呂なんかもあります。

また、湯田温泉周辺には、たくさん幕末関連の史跡があります。
井上聞多(馨)が刺客に襲われ、瀕死の重傷を負った場所や周布政之助が自刃した場所、木戸孝允の旧宅や大村益次郎が宿所とした普門寺、赤根武人の顕彰碑なんかもありますね。
とにかく湯田温泉周辺には、幕末関連の史跡が多いので見所一杯ではあるのですが、今回は「菜香亭(さいこうてい)」という史跡を見てきました。

菜香亭は、明治初年に開業した料亭で、山口県出身の政治家たちに親しまれたところです。
現在、料亭自体は廃業され、その建物だけが観光施設となっているのですが、邸内の大広間には、明治維新の元勲達、初代総理大臣の伊藤博文から現首相の安倍さんまで、著名人達の扁額が所狭しと飾られていて壮観です。

その菜香亭を見学した際、展示されていた一枚の写真に目が留まりました。
菜香亭の大広間で撮影された、松岡洋右を中心とした集合写真です。
説明書を見ると、日本が国際連盟を脱退した後、山口に帰郷した松岡のために、山口県知事主催の午餐会を菜香亭で開いた時の写真とありました。
私自身、国際連盟を脱退した際の日本代表が松岡洋右であったことはうっすらと知っていましたが、実は恥ずかしながら、松岡が山口出身、いわゆる長州藩出身だとは知りませんでした。

松岡に関しては、とても評価が分かれている人物であることは知っています。
松岡は、日・独・伊の三国同盟を推進した人物で、いわゆる東京裁判にて、太平洋戦争開戦の責任を問われ、A級戦犯の容疑をかけられました。
ただ、私自身はその人となりを全く知らず、素朴に実際はどんな人物だったのかな? と思い、三好さんの小説『松岡洋右』に行き着いたというわけです。

ただ、読み終えての感想ですが、やはり「?」が多いですね。
松岡の考え方がイマイチつかめない。理解出来ないと言うか、分からないことが多いということです。
アメリカで苦学し(松岡はオレゴン州立大学卒です)、アメリカの国力も十分に知っていたはずの松岡が、なぜ日米開戦に突き進む日本を外交面から牽引したのか?
三好さんの論では、松岡は三国同盟の先にソ連をターゲットにしていて、日米の衝突を牽制しようとした(つまり、ソ連を含めた四カ国同盟を築き、日米開戦を避けようとした)ということでしたが、果たしてどうなのでしょうか?
私自身は知識が非常に浅いため、なかなか判断がつきにくいところですが、アメリカの強大さを嫌と言うほど知っていた松岡が、日米開戦を積極的に推進したとは、確かに考えづらくはあります。(結果はそうなってしまったのでしょうが)
ただ、松岡自体が時局を楽観視したことへの批判は免れないでしょうね。

※菜香亭と松岡洋右のことについては、「菜香亭ブログ」にて。

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【2013/09/12 08:33】 | 読書感想
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おめでとうございます(^-^)
”華”煌めく
ブログ開設おめでとうございます。
掲示板閉鎖は残念ですが、
tsubuさんがお元気になられて、
活動を再開してくださったことがうれしいです。v-22

人は必ず死ぬことを前提に生まれてきました。
凡人は目に見える事柄に現を抜かし、
自分がいつかは死ぬということを忘れています。
その点、tsubuさんは大事なことを
思い出すことができたラッキーな方なんです。
しかも、普段の生活に支障がないとは、
”超ツイテル”方ですね。
このツキを生かして、存分に人生を楽しんでください。
お互い有意義に生ききりましょう。v-238

「松岡洋右」についてわたしは、
国際連盟脱退などの行為は
天皇陛下をはじめ、日本政府の意向によるものと
思っていましたが、ごく最近、
アメリカ留学時代に援助を受けた
アメリカ財閥(武器商人)の意向に従ったものであり、
日本政府は驚愕し、天皇陛下はますます松岡に
不信を抱かれた。というのが実態だと聞きました。
人の見方は様々であり、また同じ一人の人物像も
多様な表情があるものでしょうが、
三好徹さんはどのように書いておられるのでしょう?
浅学のわたしには大きななぞが深まるばかりです。


tsubu
”華”煌めくさま

こんにちは。ご無沙汰しております。
また、大変ご心配をおかけいたしました。

確かに、そうですよね。
一種人間という生き物は、生まれた時から死に向かって生きている動物ですからね。
私の場合、貴重な経験が出来たと考え、今回受けた幸運をかみしめながら、これからも頑張っていきたいと思っています。
励ましのお言葉を頂きまして、ありがとうございました!

さて、松岡洋右ですが、ほんと人によって評価がまちまちなので、色々と判断に困ります。
国際連盟の脱退についても、当時の元老であった西園寺公望が松岡に対し、「連盟を脱退させるようなことはさせない」と確約していたそうですが、軍部の圧力からか、それも腰砕け、結局は脱退せざるを得ない状況になったようです。

私も浅学ですので、アメリカ財閥の話は初めて聞きましたが、当時の日本政府としても最終的には「脱退やむなし」との判断だったようですよ。
何せ陸軍が内閣の言うことを聞かないような状況でしたから、当時の政治家達は難しい選択を迫られたことでしょうね。

松岡にしても、公式の場で述べている意見と側近にもらした話が、天と地ほど食い違っているらしく、どこに本心があったのかを探るのが非常に難しいようです。
三好さんとしては、松岡に同情的ではありますが(軍部の横暴から、外交が機能しなかったため)、それでも松岡に見通しの甘さ(つまり、日米開戦にいたること)があったと書いておられます。

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ご無沙汰しています。
西郷隆盛のHP「敬天愛人」管理人のtsubuです。

長らく活動を休止していましたが、今年に入ってからはようやく体調も良くなってきたので、活動再開しようと思い、性懲りもなくブログを始めることにしました(^^;

最初、何から書こうか色々と迷ったのですが、やはり自分のことから書こうと思います。
少~し暗い話になりますが、ご了承ください!

去ること今から4年前の夏、私は突然で意識を失って倒れ、救急車で病院に運ばれました。
倒れた際、地面に強く頭を打ってしまい、外傷性くも膜下出血を負いましたが、幸い軽傷で、命に別状はありませんでした。
ただ、意識を失って倒れてしまったことは、自分にとって全く予期せぬ出来事で、意識が戻った後も、自分では何が何やら分らずに入院生活を過ごしていたのですが、退院間近にり、医師から急に「心臓に問題が見られるので、より大きな病院へ転院をして検査を受けることを勧めます」と言われました。

心臓に問題?
これまで生きてきて、大きな病気一つせず健康に過ごしてきましたので、医師の言葉が信じられませんでした。
それから大きな大学の附属病院に転院し、心臓カテーテル検査というものを受けたのですが、結果出た病名は「閉塞性肥大型心筋症」。
心臓の筋肉(いわゆる心筋)の一部が肥大していることで、血流が悪くなっていることから、不整脈を生じやすくなる病気で、いわゆる突然死の原因となりやすい、原因不明の難病との診断でした。
医師からは、「致死性の不整脈が生じた時のことを考えて、ICD(植込み型除細動器)を体内に埋め込んだ方が良い」と言われました。
つまり、死に到るような不整脈が生じ、心臓が停止してしまった際、心臓に電気ショックを加える機械を体内に埋め込んだ方が良いと言われたのです。(ICDはペースメーカーとは違います。いわゆるAEDの小型版のようなものです)
実はこの病気、根本的な治療法は確立されておらず、いわゆる不治の病で、対処療法しかないのです。
抗不整脈剤(薬)を飲み、なるべく不整脈を起こさないようにすることと、もし死に到るような重篤な不整脈が生じたに対処出来るようにすること。
つまり、治す方法が無いということです。起こった事象に対処する療法しかないと言うことですね。

ただ、その時の私は、医師の言葉に全く納得がいきませんでした。
不整脈だなんて、今まで感じたことも無ければ、健康診断でも言われたこともありません。全くの寝耳に水だったからです。
当然、私はICDの埋め込みを拒否しました。
私の中では、今回はたまたま倒れただけで、これからはもう大丈夫だろうと思っていましたし、体内に機械を埋め込むということ自体に大きな抵抗感があったからです。

しかし……、退院後、それからあらゆる場面で、私は不整脈に悩まされました。
二、三拍、脈が飛ぶ程度の不整脈であれば我慢できますが、心房細動という不規則に脈を打つ不整脈が何時間も続くと、心臓にも負担がかかる上、精神的にもかなり参ります……。
そういった不整脈が何十回も生じ、辛い日々を過ごしました。

今まで全国各地の史跡を旅し、往復夜行バスに乗ったり、旅先では20キロ近くもあるリュックを背負って何キロも歩いたり、真夏に自転車で一日中走り回れるほど、体力には自信があったのですが、何か運動じみたようなことをしようとすると、すぐに不整脈が起こる体になりました。
また、何かをすれば不整脈が起こるというわけでもなく、原因が分からず突然不整脈になったりする、走ることもままならない生活は、常に何かに怯えて生きるようで、精神的に辛かったです。

今まで健康でありすぎたからなのでしょうね。
まだ老け込むような年齢でもなく、同年代の人たちは活動的に運動したりしているのに、私は不整脈を気遣いながら生活しなければならない……。
今の自分がより一層情けなく、惨めに感じられました。

「あれだけ元気だったのに、なぜこうなってしまったのか?」

当然、その問いかけには医師どころか誰も答えてくれません。
なぜなら、原因不明の病気だからです。
また、治療をすれば治る病気でもないことが、余計精神的に辛さを伴いました。
ただ、そんな日々が続いても、私は薬を飲むだけで、ICDの埋め込みは依然として拒否していました。
やはり、体内に機械を埋め込むことには抵抗があったからです。

しかし、その時はやってきました……。
昨年末、私は突然致死性の不整脈を発症し、自宅で倒れてしまったのです。
笑い事では済まされませんが、私の心臓は一時停止し、いわゆる一度死にました。
幸いにも救急隊の到着が早く、処置が適切だったことで、私は一命を取り留めました。
今、こうして何の後遺症もなく、普通に過ごせているのは、ほんとラッキー以外の何物でもありません。
私を処置してくれた方々に感謝です。
そして、入院後、私は即座にICDの埋め込むことに同意しました。
やはり命は何事にも代えがたい大切なものですから、その時の私には一切の迷いがありませんでした。

と、言う訳で、今の私は体内にICDが埋め込まれている状況で、それに伴い障害者手帳の交付も受けました。
しかし、ほんと人生って、分からないものですよね。
私がまさか障害者手帳の交付を受けることになるなんて、夢にも思ってみませんでした。

ただ、今飲んでいる薬がよく効いているからか、今は大きな不整脈が起こることも無く、普通に仕事をしたり、旅行したりして生活しています。
ICDを埋め込む前は色々と心配しましたが、埋め込んだからと言って何のことは無い、普通の生活が出来ます。
今は医学も進歩していて、携帯電話の電波がどうこうということもありませんし、好きな時に食べ、好きな時に飲み、パチンコまでしていますからね(笑)。
「案ずるより産むが易し」というのは、こういうことを言うのかもしれませんね。

ただ、病気自体が治った訳でもなく、何も変わりが無い状況です。
これからも病気を背負い、付き合いながら生きていかなければならないのは、何も変わりありません。
かと言って、全く暗くもなっていなければ、卑屈にもなっていません。
至って明るいままです(^^)
健康だった頃を懐かしむ気持ちは今でもよくありますが、こうなってしまったものは仕方ありませんからね。
今では「無病息災」ならぬ「一病息災」と考えています。

こういう病気を患って初めて分かりましたが、「健康」って、ほんと素晴らしいものですよ。
皆さん、健康という幸せをかみしめて生きていますか?
私自身、今まで健康であることが普通のことだと思っていたので、そんなことを考えもしなかったですが、病気を患って以来、健康であることが何よりも幸せなことであることが身にしみて分かりました。

普通でいられること。

実はそれだけで幸せなんですよね。

仕事や恋愛、友達関係、家庭のこと、経済的な悩み、色んなことで悩み、不幸せだと感じている方が世の中にはたくさんおられると思いますが、まず原点に帰って、健康であることの意味を考えてみてはいかがでしょうか?
日常生活において、色んな辛いこともあるでしょうが、健康であるという根本的な幸せさえあれば、いつか必ずそれから抜け出せるような気がします。
昨今、自殺者も急上昇しているようですが、生きたくても生きられない、病で苦しんでいる人がたくさんおり、健康が何事にも代えがたい素晴らしいものであることを再認識すれば、少々の苦労は乗り切っていけるのではないかと思います。
健康でおられる方は、今一度そのことの意味をかみしめて感じて欲しいですね。

最後は、法話のような話になってしまいましたが、次回からは普通の話を書き込みます!
読んで下さった方、ありがとうございました!


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【2013/09/10 13:43】 | 雑感
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ブログ開設おめでとうございます。
稲垣秀哉
 お久しぶりです。

 ブログによって活動を再開されるとのことで、嬉しく思っております。

 無理のないよう、お体にお気をつけて、ご活動下さい。かげながら応援しております。

ありがとうございます!
tsubu
稲垣秀哉さま

こんにちは。ご無沙汰しております。
ご心配をおかけしましたが、体に無理をかけないように気をつけて、何とか活動を再開したいと思います。
お言葉をかけて頂きまして、本当にありがとうございました!

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