西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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yahooのニュースを見ていたら、『歴史街道』(PHP出版)が「あなたの好きな「幕末維新」の人物 ランキング」というアンケート調査をしたようで、その結果が載っていたのですが、下記のような順位でした。

第1位 坂本龍馬 32.8%
第2位 西郷隆盛 9.0%
第3位 土方歳三 8.5%
第4位 高杉晋作 6.8%
第5位 勝海舟 6.6%
第6位 沖田総司 2.9%
第6位 吉田松陰 2.9%
第8位 近藤勇 2.0%
第9位 桂小五郎(木戸孝允) 1.6%
第10位 斎藤一 1.5%
第10位 松平容保 1.5%

龍馬が断トツにくるのは当たり前かと思いますが、西郷が2位とは!
嬉しいですね、この結果。
土方や高杉よりも上にくるなんて。

少し西郷評価の話をしますが、おそらく戦前に同様の調査を行っていれば、西郷は断トツの1位だったと思います。
戦前の西郷人気の凄まじさは改めて書く必要もないかと思いますが、太平洋戦争での敗戦後、その評価は一気に地に落ちました。
戦時中に大陸進出の象徴として崇め奉られた西郷は、日本の敗戦と共に歴史上から徹底的に叩きのめされたと言えるでしょう。
そのためか、「西郷隆盛」と聞くと、アレルギーを起こす人達が少なからずいます。
また、「征韓論」という言葉が一人歩きして、こうなってしまったとも言えるでしょうね。

話は変わって、だいぶ前の話になりますが、4月11日(金)に衛星放送のBS11で放映された、とことん歴史紀行2時間スペシャル「西郷隆盛~南の島に暮らした維新の豪傑 鹿児島・奄美~」を見たのですが、この番組、ちゃんとした歴史監修が入っているのか? と思うくらい、基本的な間違いが多かったですね。
微妙な間違いとかではなく、初歩的な間違い(例えば、島津久光を薩摩藩主と紹介していたり)が多かったので、見ていて少しビックリしました。
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【2014/06/23 12:23】 | 西郷隆盛
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ukoji
私も録画して観ました。
おっしゃる通り間違いがあるようでしたが
番組の雰囲気は個人的に好きでした。

30代後半になってはじめて西郷隆盛の真髄
がほんの少しわかるようになり勉強中の身です


tsubu
ukojiさん、はじめましてこんにちは。

確かに番組の雰囲気は良かったですね。
奄美での生活などにも重点をおいて構成されていましたし。

私も年齢を重ねる毎に西郷の魅力が分かってきた人間です。
今後ともよろしくお願いします。


鶴ヶ魂
この結果を見ていると、高杉や木戸、松陰ら長州勢の人気が意外とあるのに暗澹たる気持ちになりました。
まだ、日本には薩長史観が根強く残っているのですね。

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先月の5月23日、新聞各紙等マスコミにおいて報道されていましたが、「難病医療法」と「改正児童福祉法」が参議院本会議で可決、成立しました。

余り聞き覚えのない法律名ですので、ご存じない方も多いのではないかと思いますが、この二法は、病気の原因が分からず、効果的な治療法が確立されていない、いわゆる「難病」を患った患者と慢性疾患を患う子供達のための医療費助成の対象を拡大するための法案として成立したものです。
これにより、これまで難病として指定されていた56疾患(患者数およそ78万人)が大幅に増えて、約300疾患(患者数およそ150万人)が医療費助成の対象となるそうです。

私はこのニュースを聞き、非常に喜ばしいものだと感じていたのですが、実はその陰に隠れて、これまで既に難病指定を受けていた患者の医療費負担が著しく増大するという事実があることについては、余り触れられていません。
今回はその件について、少し思うところを書いてみたいと思います。

実は私自身、国が指定している難病、正式には「特定疾患治療研究事業対象疾患」の56疾患に含まれている病を患っています。
このブログを始める際、一番最初に書きましたが、約5年前の夏、私は「閉塞性肥大型心筋症」という心臓病の診断を突然受けました。
私自身は病気とはほぼ無縁の存在で、これまで一度として心電図に異常があるとか、心臓が悪いと言われたこともなく、また一切の自覚症状が無かったので、その診断はまさに青天の霹靂というべきものでしたが、この「閉塞性肥大型心筋症」も原因不明の病気であり、確たる治療法が無いことから、国から難病に指定されているのです。
現在の日本の医療制度では、特定疾患(いわゆる難病)に罹患している患者は、国から医療費助成を受けられる対象者に指定されています。
難病の治療にかかる高額な医療費の負担を軽減させるための制度というわけです。
私の場合で言うならば、心電図や心臓エコー、血液検査等の検査を定期的に受けなければならないこと、また現在服用している薬が非常に高額なものであることから、この特定疾患医療費助成制度にはとても助けられているのですが、今回の法改正が実施されると、毎月の医療費の負担が跳ね上がります。

今回、国(政府)がこのような法改正を行おうとした理由は、難病の対象疾患を拡大することにより、より多くの難病患者を救おうとする試みからです。
その趣旨には大賛成で全く異論もないのですが、問題はここからです。
国は財政的な理由をもとにして、「広く浅く」、つまり医療費助成を受けられる人達を多く認定はするが、給付する助成額はこれまでよりも少なく留める、という改革をしようとしているのです。
平たく言えば、これまで医療費の負担をさせていなかった患者から、医療費を取るようにし、その取った医療費を元にして、他の難病患者にも助成できるようにしようということです。

はっきり言って、この考え方は「本末転倒」です。
国(政府)は「公平性」ということを声高に叫んでいますが、こういった問題は「広く浅く」ではなく、「より広く、より深く」しなければならないものだと思えてなりません。

「対象者は増やすが、その分はみんなで公平に負担してね」

聞こえは非常に良いですが、この考え方は、すなわち「支出する金額(予算額)はこれまでと同等レベルに保ちたい」という財政面(予算確保)ありきの考え方であることは間違いないでしょう。
これっておかしいですよね?
難病に苦しむ患者達のことを考えて対象を広げようとする法改正に見せておきながら、その実、国(政府)はこれまで以上の医療費の負担をするつもりはないのです。
つまり、財政的なことをまず念頭に置き、帳尻を合わせている施策なのですから。

財政難、財政難と言い、消費税を上げて国民に大きな負担を強いておきながら、非常にくだらないことに今なお高額な予算を支出し、また国会議員の定数削減など、自らの身を切るような改革を一切しない(しようとしない)現状を考えると、腹立たしさを通り越して、呆れかえるばかりです。
なぜそういった無駄なお金を湯水のように使っておきながら、こういった国民の生命・財産にかかわる重要な問題に予算をもっと充てようとしないのか、理解に苦しみます。

財政難を理由に削られる予算は、決まって年金や医療といった、福祉面からばかりの現状に対し、国民はもっと怒るべきだと思います。
欧米社会なら、こんなことを国がしようものなら、大規模なデモが起こりかねません。
にもかかわらず、日本国民は従容としてそれらを受入れるのですから、理解ある国民と言うよりも、言葉は悪いですが、お人好し以外の何物でもありません。

誤解を招くといけないので最後に書きますが、私は自分自身の医療費負担が増えることを憤っているわけでは決してありません。
私など非常に恵まれた方だからです。
普通に仕事に就くことができ、毎日働いて給料もちゃんともらって、生活していますから。

しかしながら、病気が原因で働きたくても働くことが出来ない人達や毎月数万円にも上る高額な医療費を払い続ける人達に対し、これ以上の医療費負担を強いるとは、国は一体何を考えているのでしょうか?
それを考えると、ほんと腹立たしくて仕方がありません。
難病指定の拡大により、多くの難病患者達が救われることは非常に喜ばしいことではあるのですが、はっきり言って、政府の方針には、全くの誠意は感じられません。


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【2014/06/17 08:26】 | 雑感
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先日、生まれて初めて、鳥取砂丘に行ってきました。
その昔、米子や大山(だいせん)には行ったことがあったのですが、今回初めて鳥取砂丘を中心として、鳥取市内を巡りました。
大阪から高速で約3時間半。
鳥取自動車道が全線開通して、ほんと近くなりましたよね。

今回のメインは温泉と鳥取砂丘を見に行くことだったのですが、後で聞いたところによると、何でも鳥取砂丘は、日本三大がっかりスポットだとか(苦笑)。
しかし、僕的にはすごく楽しかったですね。
エジプトどころか、砂漠と名のついたものに行ったこともありませんから、あれだけ広大な砂浜を見て、少し感動しました。
がっかりと言えば、鹿児島にある日本三大砂丘の一つである「吹上浜」の方ががっかりですよ。
果たして、あれは砂丘と呼べるんですかね?(←鹿児島の方、すいません^^;)

鳥取砂丘ではラクダに乗ることはありませんでしたが(乗るだけで500円、歩くと2000円なんてボッタクリです!←鳥取の方、すいません^^;)、心地良い風を感じながら日本海の風景が楽しめて、とても楽しかったです。
そうそう、鳥取砂丘に行く際は、サングラスとサンダル(もしくは長靴)を用意するのを忘れずに!
風が強いのと普通の靴では砂だらけになってしまいますから。
あと、夏は避けた方が無難ですね。(5月でも砂が焼けるように暑かったくらいですから)

私の場合、旅行と言えば、必ず幕末を絡めて行きたがるのですが、鳥取市に関して言えば、幕末関係の史跡は、ほぼ皆無に近かったです。
鳥取藩と言えば、池田家、そして幕末当時の藩主は、徳川慶喜の兄である池田慶徳ですが、彼に関係する史跡は残されていませんでした。
「鳥取市歴史博物館」にも足を運びましたが、幕末・維新に関する展示は、わずかパネル2枚だけでしたし(^^;
その昔、会津藩に関するテーマ随筆「会津藩と薩摩藩の関係-「会津藩馬揃え」を中心に-会津と薩摩はなぜ提携するに到ったか?」を書いた際に、『贈従一位池田慶徳公御伝記』をかなり読みましたが、慶徳は文久期の京都政局における重要なキーマンなんですけどね。
会津藩による「天覧の馬揃え」が行われるきっかけを作ったのも慶徳ですし。

さて、鳥取は三朝温泉や皆生温泉、はわい温泉など、有名な温泉街がたくさんありますが、今回はマイナーなひなびた温泉街に宿泊しました。
でも、料理も美味しかったですし、温泉も良い具合で大満足でした。
帰路には市内の回転寿司屋に入りましたが、日本海に近いので、魚が新鮮で美味しいですね~。
また、いつか鳥取に行ってみたいと思います(^^)

※画像は、鳥取砂丘と私です(笑)。

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【2014/06/10 12:56】 | 旅行
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tsubuさん、若い!!
華燦めく
こんにちは
時々うかがっておりましたが
お忙しくなさっていらっしゃったのですね。

砂丘でのtsubuさん、
お若いですね!
我が家の息子とほぼ同年なのですから
当然と言えば当然なのですが。
お書きになった作品の数々から
考えのしっかりした完璧な人物を
想像してしまいます。

島津斉彬のお母さんが鳥取藩の出では
なかったでしょうか?
この方が長命であれば
斉彬はもっと活躍できたのではないかと
残念でなりませんでした。
でも、母方の実家も相続で揉めたことを思うと
因縁を感じずにはいられません。
当時としては仕方のないことでしょうが、
骨肉の争いは辛いですね。

何はともあれ、お元気でエンジョイ
なさっていらっしゃるお姿を拝見できて
安心いたしました。

また、気が向かれたらブログを更新して
近況をお教えください。
楽しみにしております。

ご無沙汰しています
tsubu
華燦めくさん、こんにちは!

全然若くないですよ!
40代のド中年ですから(^^;
でも、若いと言って頂けて嬉しいです。
ありがとうございます!

うっかり書くのを忘れてしまいましたが、そうでしたね。
おっしゃるとおり、斉彬の母・周子(賢章院)は、鳥取藩の出身ですね。
斉彬が幕末期にあれだけ英明君主であったと言われた所以は、この賢章院の教育の賜物であると思います。
言い伝えでは、賢章院は斉彬の教育を乳母に任せず、自ら英才教育を施したと言われていますね。
斉彬はこの母と曾祖父の重豪の影響を大きく受けて育っていると言えましょう。

賢章院は34歳の若さでこの世を去っていますが、死に際して、斉彬に対し、下記のような遺言をしたと伝わっています。

慈眼、返照す回光の日
誤って父母の名を穢すことなかれ

母として、最後まで斉彬の行く末を案じていたことが分かりますね。
斉彬はその母に対して、次のような歌を詠んでいます。

有明のかたぶく月ともろともに 雲かくれぬる君ぞこひしき

最愛の母を亡くした斉彬の気持ちが、よくあらわれている歌だと思います。

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先日のゴールデンウィークに久しぶりに鹿児島に行ったのですが、九州新幹線の影響でしょうか、ものすごく観光客が増えていますね。
昔、私は大阪から鹿児島に行き帰りともに夜行バスで行ったくちですが、あの頃と比べると、新幹線による利便性の向上で、爆発的に観光客が増えているような気がします。

例えば、私が好きでよく行くトンカツ屋が鹿児島市内にあるのですが、開店前に行ったにもかかわらず、観光客が押し寄せており、入店するのに約一時間待ちました。。。
また、観光ガイドブックに掲載されている有名ラーメン店も長蛇の列が出来ていましたし、どことは言いませんが、私から言わせれば、全然味的に大したことのないお店(←失礼)にも行列が出来ている始末。
昔はゴールデンウィークとは言え、こんな状況ではありませんでしたから、やっぱり新幹線の影響は大きいですね。
何だか古き良き鹿児島のイメージがどんどん無くなっていくようで、私的には寂しい気がします。

さて、ゴールデンウィークには鹿児島の隣県である、我が愛すべき宮崎県にも行きましたが、鹿児島に比べると、宮崎は空いていますね。
観光客もそれなりに居ますが、やっぱり帰省客の方が多いような気がします。

宮崎に行った際、久しぶりに宮崎市高岡町にある「天ケ城歴史民俗資料館」に行ってきました。
天ケ城は、いわゆる高岡城の別名で、今は宮崎県に属していますが、その昔は薩摩藩領でした。
その名残を示すかのように、高岡町には麓(薩摩藩で言うところの郷士達が居住した武家集落)があり、そして中心には仮屋跡(役所跡)があり、町内には薩摩風の武家屋敷が点在し、また、薩摩藩政当時の関所であった「去川の関」の跡も残されています。

「去川の関」と言えば、こんな逸話を思い浮かべます。
井伊直弼が主導した「安政の大獄」により、当時、薩摩藩の朝廷工作に従事していた京都清水寺成就院住職の月照は、その身が危険となりました。
同じく京都にてその運動を手助けしていた西郷隆盛は、そんな月照を薩摩藩内に庇護しようと計画し、紆余曲折の上、月照は鹿児島に到着しますが、そんな月照に対し、非情にも薩摩藩は国外退去を命じます。
西郷はそのことに絶望し、月照と共に冬の鹿児島の錦江湾に身を投げ、自殺することを決意するのですが、薩摩藩は月照を「東目送り」、つまり東目筋(街道)を通って、高岡にあった「去川の関」から藩外に退去させようと命じたと伝えられています。

ただ、東目送りの話については、余り根拠がなさそうです。
色んな西郷伝には必ずそう書かれていますが、それを示す証拠がないため、あくまでも伝承レベルの話でしょうね。
月照を国外退去させようとしたことは間違いないでしょうが。

ちなみに、去川の関所跡には、昔それを示す大きな石碑が建てられていたのですが、今は案内板のみがある状態です。
と、言うのは、平成17年9月に九州に上陸した台風14号の影響で、石碑が破壊され、大水で流されてしまったんですよね。
実はこの平成17年、私が大阪から宮崎に移り住んだ年だったので、当時のことを鮮明に覚えています。
宮崎市内のほとんどは停電し、家屋も水に浸かる被害が多数出ました。
宮崎県北方の延岡と高千穂を結ぶトロッコ電車の高千穂鉄道は、この台風によって鉄橋が破壊されるなど、大きな被害を被り、廃路になったことは記憶に新しいところです。
私もこんな大きな台風は生まれて初めて経験しました。

少し話がそれましたが、こういった土地柄から、高岡にある「天ケ城歴史民俗資料館」には、薩摩藩関係の資料の展示が少なからずあります。
中でも高岡という土地は、明治期に活躍した医師・高木兼寛の出身地でもありますので、彼に関する資料も展示されています。

余り詳しくは書きませんが、高木兼寛は高岡で生まれ育ち、若き日から蘭学及び医術を学んだ明治期の医師です。
鹿児島の医学ひいては日本の医学界に多大な功績を残したウィリアム・ウィリスにも師事した彼は、後に海軍の軍医総監まで登りつめ、現在の東京慈恵会医科大学の創設者でもあります。

特に、高木の功績として名高いのは、脚気の原因究明についてです。
当時、軍部では兵士が脚気を発病するケースが多く、それをいかに予防するのかが軍医達の喫緊の課題であり、責務であったのですが、高木は脚気の原因を「タンパク質不足」、つまり栄養不足からくると考え、当時軍隊で食されていた白米やパンよりも麦飯を食べて栄養を摂取することを推奨しました。
しかしながら、その彼の主張に対して、陸軍及び医学界(特に東大医学部関係者)からは多くの非難が生じました。
特に有名なのが当時陸軍の軍医であった森鴎外がその説を強烈に否定したことです。
森は、脚気は「病原菌」から発病すると主張し、高木の説を一蹴したのです。

このようにして、高木が所属した海軍と陸軍及び東大医学部派閥の脚気の原因を巡る対立が生じたわけですが、結論から言えば、実はこの両者ともその主張は誤りであったのです。
脚気という病気は、高木が主張したタンパク質不足からでも、森が主張した病原菌からくるものではなく、ビタミンB1不足から生じる病気であったのです。
しかしながら、高木が持論を展開した栄養不足は、森らが主張した病原菌説に比べて、総じて間違いではなかったわけです。
高木が推奨した麦飯は、ビタミン豊富な食材であり、結果的に脚気の減少に一役買うことになりました。

以上のようなことから、高木兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるようになったのですが、これまで書いてきたように、彼がビタミンを発見したというわけではありません。
当時はビタミンという概念は未だ無かったわけですからね。
高木は脚気を栄養不足からくるものだと主張し、後のビタミン発見への道筋を作ったということから、彼は「ビタミンの父」と呼ばれるようになったのでしょう。

高木兼寛の生涯については、作家の吉村昭さんが『白い航跡』という著作を遺されていますので、興味のある方は是非読んでみてください。
あっ、ちなみに高岡町にある道の駅は、「ビタミン館」という名が付けられています。
ビタミン館だなんて、「薬局と間違えられるんじゃないか?」と、その前を車で通るたび、いつも要らぬ心配をしています(笑)。

※画像は、天ケ城(高岡城)です。

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【2014/06/03 12:37】 | 旅行
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