西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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先日のお盆休みを利用して、久しぶりに鹿児島に行ってきました。
今回は北薩、いわゆる鹿児島の北方に行ってきたのですが、お目当ては、いちき串木野市の羽島に出来た「薩摩藩英国留学生記念館」です。

今年(2015年)は、薩摩藩から19名の留学生がイギリスに向けて旅立った150年目を迎える節目の年です。
記念館は昨年7月に既に完成していますが、今年は留学生を顕彰する機運がとても高まっています。
私が羽島に行ったのは、もう10年以上も前のことで、Webサイトを通じて交流していた方に連れて行って頂きましたが、ここから留学生たちが遠くイギリスの地に旅立ったかと思うと、とても感慨深かったのを今でも覚えています。
と、いう訳で、今回久しぶりに東シナ海に面した港町・羽島に向かうことにしました。

いちき串木野市は、その名の通り、元あった日置郡市来町と串木野市が2005年に合併して出来た都市です。
いわゆる「平成の大合併」というものですが、改めて考えてみると、市町村合併して何か良いことがあったでしょうか?
住民サービスが向上したわけでも、市町村の借金が大幅に減ったわけでもなく、結局は歴史ある土地の名前だけが失われた改悪な政策だったとしか思えません。
このことを書きだすとキリが無いので一先ず置きますが、とにかく最近の日本人は由緒ある土地の名前をいとも簡単に捨てすぎる傾向があるように思えてなりません。
「新○○」なんていう名前は正直うんざりですね。。。

さて、今回の鹿児島旅では、目的の「薩摩藩英国留学生記念館」だけではなく、いちき串木野市周辺の史跡もいくつか巡ってきましたので、その時の話を数回に分けて書きたいと思います。

まずは、串木野金山です。
日本国内にある金山と言えば、まず思い出すのが新潟の佐渡金山ではないかと思いますが、どっこい佐渡よりも大きな金山は鹿児島にあります。
実は、鹿児島は金山の町なのです。
県内の伊佐市にある菱刈金山は、現在も金の国内産出量第1位を誇る金山で、現在も採掘中の現役の金山です。
その他にも鹿児島県内には、山ヶ野金山、永野金山といったように、産出量が豊富であった金山が多数点在しており、今回私が訪れた串木野金山も、往年は国内第4位の産出量を誇る金山でした。
鹿児島の金山については、
『金山 鹿児島は日本一』(浦島幸世著、春苑堂出版)
という本が鹿児島の地元出版社から出ていますので、興味のある方は一度お読みになってみてください。

さて、今回訪れた串木野金山ですが、現在は採掘コストの関係から、閉山状態(操業休止状態)になっています。
そのため、串木野金山には、「ゴールドパーク串木野」という、金山をテーマにしたテーマパークが以前造られていたのですが、残念ながら今は潰れてしまいありません。
現在は、いちき串木野市に本社を置く濵田酒造という焼酎メーカーが金山の坑道跡を何と焼酎蔵として再利用しています。
坑道を焼酎蔵に、というのは奇抜なアイデアですよね。

この金山抗の焼酎蔵は、「薩摩金山蔵」と称して、現在は金山と焼酎をテーマにした資料館になっています。
今回、羽島に行く途中で立ち寄ることにしたのですが、非常に楽しめましたし、面白かったです。

「薩摩金山蔵」では、昔の坑道の中をトロッコ列車で移動し、地下の採掘現場跡や焼酎の仕込み蔵を見学することが出来ます。
坑道の中は常に室温が19℃に保たれているらしく、天然のクーラーで夏は涼しく、冬は暖かく見学することが出来ます。
金鉱脈や採掘現場跡もちゃんと残されていることもさることながら、案内役の方が非常にしゃべりが上手だったので、見学していてとても楽しめました。

この串木野金山、久しく採掘されていなかったものを幕末の慶応期に再操業し、薩摩藩の資金ともなったようですが、ツルハシ一本で掘り進める距離はわずか30㎝だったそうですし、採掘した金鉱石約1トンから取れる金の量はわずか5~10gほどというのですから、今から考えれば恐ろしく気の遠くなる作業です……。
確かに、現代ではコストが合わないですよね(^^;

何だか金ばかりの話になりましたが、焼酎蔵の見学も楽しめますので、是非立ち寄って頂きたいスポットですね。

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金山抗内に残されている巻揚げ機
(採掘した金鉱石を地下から上げるためのもの)
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【2015/08/24 12:03】 | 史跡巡り
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お久しぶりです
華煌めく
こんばんは
随分ご無沙汰しております。
時々こちらにお伺いしているのですが、いつも読み逃げで失礼しております。
今晩、長男が遅い夏休みを取り、鹿児島に行くもので、尚古集成館と南洲顕彰館に足を伸ばして貰うよう頼んだところです。息子は昨年は大和ミュージアム、今年は鴨池飛行場となんだか硬派真っしぐらな感じなのですが、、、
還暦を機に塾を始める迄は毎年伊勢神宮、出雲大社、京都、高野山、岩國錦帯橋などなどあちらこちら誘ってくれていたのですが、最近私が長期のお休みを取ることが出来ないもので、勢い硬派に向かったのかも?
私の還暦と共に父親の自営業手伝いを卒業し就職したものの、そちらもお硬い職場、可愛いお嫁さんに出会える機会もなく未だ独身。優しく、思いやりのある子なのになぜ?早くいいお嫁さんを見つけて欲しいのですが、本人は全くその気無し。自由を謳歌しています。
お土産に頼んだかるかんと無事な帰宅を待つのみです。


ご無沙汰しております
tsubu
華煌めくさん

ご無沙汰しております。
また、レスが遅くなってしまい、申し訳ありません。

最近は男女共に晩婚と早婚の差が激しいですよね。
早い人はすごく早いのに、遅い人はなかなか、とちょうど良い適齢期と呼ばれている期間の結婚が少なくなっているような気がします。
でも、僕も独身を謳歌したタイプですので、強くは言えませんが(笑)。
息子さんに素敵なお嫁さんが来られることを僕も祈ってます(^^)

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先日、と言っても、かなり前のことですが、BS-日テレで放映された、

「西南戦争をめぐる新推理! 西郷隆盛暗殺計画の真相を追え!」

というテレビ番組を見ました。
この番組は、歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが司会進行を務める「解明 片岡愛之助の歴史捜査」の第2回目で、だいぶ前に録画していたものをようやく見たのですが、今回はその感想を少し書きたいと思います。

まず、番組タイトルから、かなり期待して見たのですが、「西郷隆盛暗殺計画の真相を追え」という副題が付いているわりには、そのことに関する言及が少なかったように思います。
番組の約4割くらいは「西郷隆盛の写真の謎」の話でしたので。
ご覧になられた方はお分かりかと思いますが、その内容は、近年出版された、

斎藤充功『消された「西郷写真」の謎:写真がとらえた禁断の歴史』

を元にした考証でした。

西郷写真の有無に関しては、これまで数えきれないほど話題にのぼった話ですが、「結局は一枚も存在しない」というのが真相であり、結論であるかと思います。
非常に有名なエピソードですが、西郷は明治天皇から写真を所望された際にもそれを断っています。
西郷が敬愛した明治天皇にさえ、そのような態度をとっていることからしても、やはり西郷は、写真を一枚も撮っていないというのが真相だと思います。

また、西郷写真の有・無が、どうして西郷暗殺計画に繋がるのか? そもそも疑問ですが、番組内では、

「西郷という人物を直接見たことのある、あるいは知っている人物は、鹿児島にはそうたくさん居なかった。実際に西郷を見て、知っている数少ない人物の中に、密偵の一人で、西郷暗殺計画を自供した中原尚雄がいる。彼が暗殺者として選ばれるに到ったのは、西郷の顔を知っていたからだった」

みたいな話になっていましたが、少しこじつけに近いですね。。。

いわゆる「東獅子」と呼ばれる、警視庁から派遣された密偵による「西郷暗殺計画」が本当にあったのかどうかについてですが、番組内では、当時の鹿児島県裁判所の判事7人が、停戦と暗殺事件の真相解明を直訴した明治天皇宛の上奏文(密訴)を証拠としてあげ、暗殺計画は真実であり、また、その黒幕は、大久保利通だったという解釈をおこなっていました。

判事が西南戦争解決訴え 明治天皇宛て文書発見
(2012/06/24 付け「47トピックス」)
http://www.47news.jp/47topics/e/230817.php

まず、当時の裁判所の判事がそういった直訴をおこなった点ですが、はっきり言ってしまえば、当時の鹿児島県は、行政機関のトップであった県庁を筆頭に、警察などの組織も全て私学校党に握られている状況でしたから、裁判所の判事が揃って直訴したことをもってして、それが真実であったとするのは、少し無理がある解釈だと言えましょう。

また、大久保が暗殺計画の黒幕であったという説についても同じです。
西郷と言えば大久保、西郷対大久保、大久保対西郷と、明治維新後は常に対立構図で話されがちですが、二人は政治的に対立し、袂を分かったとは言え、お互いに憎しみの気持ちを抱くほど、険悪な関係であったとは考えられません。
いかに大久保が策士であったとは言え、簡単に西郷暗殺命令を出すような軽率な人物ではなかったでしょうし、大久保がそのような愚策を考えるはずも無かったと思います。
鹿児島の尚古集成館副館長の松尾千歳氏も、番組内で同じような趣旨の発言をされていましたが、もし、西郷を暗殺したとしたならば、その影響は計り知れなく、鹿児島全域が暴徒化することは必定だったでしょうから、大久保がそのような指令を出すことはあり得なかったと私も思います。

ただ、西郷暗殺計画が全く根拠が無かった話であったとも思えません。
暗殺計画を自供した中原尚雄やその話を直接聞いたとされる谷口登太の話などを総合して考えれば、密偵達に対し、「いざとなれば、西郷や私学校幹部と刺し違えてでも目的を果たせ」くらいの話は、大久保ではなく、大警視の川路利良からあったようには思います。
いわゆる「西郷暗殺計画」というものは、全く根も葉もない「シロ」と言う訳ではなく、「グレー」に近いものはあったと思うのですが、その指令が大久保から出ていたということは、やはり考えづらいですね。

【2015/08/17 12:14】 | 西郷隆盛
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大分県と言えば、別名「おんせん県」と言われるように、県内にはたくさんの温泉地があります。
別府はその代表とも言うべき土地ですが、私は別府という町が好きです。
湯煙り漂う街の雰囲気が旅情をそそりますし、温泉は言うまでもなく、海の幸が豊富な上に鶏などの肉類も美味しい。
そして、私の好きな海は近いし、景色も良いところが多い。
旅行先としては最高の場所だと思います。

と、言う訳で、最近、別府には二年に一度くらいのペースで訪れているのですが、関西からなら、大阪や神戸から別府・大分行きのフェリー(さんふらわあ)が出ているので、車を積んで旅するにはとても便利です。

さて、このように別府には何度も足を運んだことがあるのですが、自分でも不思議なことに、別府観光の一番の目玉とされている「地獄めぐり」には、これまで行ったことがありませんでした。
そのため、今回の旅行で、

「地獄でもめぐってみるか」(←言葉だけ聞くと、怖いですね・笑)

と、ふと思い立ち、初めて「地獄めぐり」をしてきたのですが、予想以上にとても楽しめました。

「地獄めぐり」の「地獄」とは、別府にある八つの源泉のことを指し、それら赤や白そして青などの変わった発色をした源泉や間欠泉などをめぐることを「地獄めぐり」と呼ぶのですが、どれも生まれて初めて見る不思議な光景ばかりで、正直驚きました。
嘘か本当かは定かでありませんが、観光案内本によると、「地獄」という言葉は、その名のとおり、まさしくその源泉地帯が地獄さながらの荒んだ光景であったことから、その名が付けられたようなのですが、確かに昔の人が見たら、真っ青な温泉が湧き出ている「海地獄」や朱色に染まった「血の池地獄」などは、まさに地獄という呼び名に相応しい場所だったかもしれませんね。

さて、その「地獄めぐり」に代表される別府観光を語る上で、一人、欠かせない重要人物がいます。
そう、油屋熊八(あぶらやくまはち)です。
その名を聞いたことがない方が多いかもしれませんが、油屋熊八は別府観光の基礎を作ったとも言える、別府ひいては大分に多大な功績を残した人物です。

熊八は、元々現在の愛媛県宇和島市の出身ですが、明治44年、別府に亀の井旅館(現在の亀の井ホテルの前身)を開業して以後は、別府を日本有数の観光地に仕立てるべく、様々な事業を展開しました。
油屋熊八の別府に対する功績は枚挙にいとまがありません。

熊八は、現在、別府市内の目抜き通りとなっている「流川通り」の拡張を行い、当時主要な交通手段でもあった汽船停泊のために別府港に専用の桟橋を作りました。
つまり、一番最初に交通インフラの整備をしたわけです。
熊八は、その他にも現在の九州横断道路(やまなみハイウェイ)の原型とも言える観光道路を作ることを提唱したりしていますので、やはり「観光には交通手段が大事」ということをいち早く悟っていたのだと思います。

そして、次に熊八は、全国各地に別府観光キャンペーンを繰り広げました。

「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」

熊八が考案したキャッチフレーズです。
このキャッチフレーズを元に、彼は日本各地を行脚し、温泉地・別府を宣伝するための広報活動を繰り広げました。

交通インフラの整備と観光キャンペーン。

まさしく現代の観光事業にも通じる手法を大正時代に行っていたのですから、ビックリですね。
熊八に先見の明があったと言わざるを得ません。

また、熊八は、別府観光の目玉を作るべく、日本初の女性バスガイドによる定期観光バスの運行を始めました。
今では当たり前の女性バスガイド付きの観光バスは、別府で誕生したものだったのです。
そして、その定期観光バスの目玉コースが「地獄めぐり」だったわけです。

このように、油屋熊八という人物は、別府観光だけでなく、日本の観光業を語る上で重要な人物だと思うのですが、意外と地元以外にはその名が知られていないんですよね。
実は私もその一人で、ほんの数年前までその名を知りませんでした。

私自身、今では熊八の生涯を詳しく知りたい・調べたいと思うようになっているのですが、なかなか関連書籍が無いんですよね。
一冊だけ『別府華ホテル-観光王と娘の夢』(佐和みずえ著)という本が出ていますが、これは架空の娘を主人公の一人に配したフィクションですので、私自身は余り食指が動きませんでした。

また、別府観光協会に「熊八の生涯を知る本は他にないですか?」とメールで聞きましたが、有るとも無いとも、全く返信がありません……。
熊八は、別府の地を「おもてなしナンバー1」に仕立て上げるべく奮闘努力しましたが、それを引き継ぐ観光協会が、メールでの問い合わせに対し、「返信なし」とは冷たい態度だな……、と思いますね。
別府観光協会さん、しっかりして下さいな!!!

最後は愚痴(クレーム?)みたいになってしまいましたが、また、別府に行った際、熊八のことなども調べたいと思っています(^^)

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血の池地獄

【2015/08/04 13:43】 | 旅行
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