西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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島津斉宣ゆかりの史跡「驪龍巖」は、いちき串木野市の東シナ海に面した小さな小島、「照島」にあります。
この照島の近くには「長崎鼻」という景勝地がありますが、これはいわゆる一般に鹿児島で言うところの長崎鼻とは別物です。
鹿児島で長崎鼻と言えば、大抵は指宿(山川)にある長崎鼻のことを指しますが、いちき串木野市にも同名の景勝地があるのは余り知られていません。
NHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』でも脚光を浴びました白蓮こと柳原白蓮も、この串木野の長崎鼻を訪れたことがあり、白蓮はその景色に感動し、

「右も海 左も海の 色蒼く 沖の小島に 想いはふかし」

という歌を詠んでいます。
私が訪れた時はあいにくの雨模様でしたので、白蓮が見たであろう絶景を拝むことは出来ませんでしたが、写真で見ると、とても夕陽が綺麗な場所のようですね。
その長崎鼻の南東に浮かぶのが照島なのですが(今は橋が架けられ、陸続きになっています)、実はここも長崎鼻と並ぶ串木野の景勝地の一つです。
照島は周囲1キロにも満たない小さな小島ですが、色々な伝説を持った島です。
例えば、有名なのが徐福伝説です。

中国の史書である司馬遷の『史記』の中にも出てくる有名な話ですが、秦の始皇帝という人物は、強大な権力を握り、中国史にも名の通った独裁者としても有名ですが、あらゆる富や権力を手にした彼が最後に追い求めたものは、「不老不死」でした。
いかにお金を持っていようが、高い地位にあろうが、人間にとって老化ということは避けようもなく、いわゆる不老不死は、永遠に手が届かないものと言えますが、権力を手にした始皇帝は、それをも手に入れようと考えました。
ここで徐福という人物が登場するのですが、彼は始皇帝に対して、「中国の東方に不老不死の霊薬があるのを知っています」と話し、喜んだ始皇帝は、彼に不老不死の霊薬を探して持ってくるように命じました。
徐福は不老不死の霊薬を探しに行くべく、大量の財宝や多数の従者を伴い、中国から船出したのですが、結局、彼が再び始皇帝のところに帰ってくることはありませんでした。
結果的に言えば、始皇帝は徐福に騙されたということになるのでしょうが、実はその徐福が日本に上陸していた、という伝説が日本各地に残されているのです。
照島もその一つで、照島の観光案内板には、次のように記されています。


秦の始皇帝(紀元前246~)の使いとして、徐福が不老不死の霊薬を求めて照島に上陸した際、良薬が見つかるよう祈願したところ、照島の北東に見える山岳に一筋の光明が射したのを見て、これぞ神の導きならんと急いでこの山に登り、多くの薬草を手に入れました。
そのお礼として徐福は、帝より拝領された冠を捧げたといわれ、以来この山は「冠岳」と呼ばれるようになりました。
(照島に設置された案内版より)


徐福伝説というのは、いちき串木野市の他にも和歌山や佐賀など、全国各地に点在していますが、どこまで真実か分かりませんし、信憑性は低いかもしれませんが、日本は中国の東方に位置し、最も近い島国でしたから、あながち全てが嘘であるとは言えないかもしれませんね。

だいぶ話がそれてしまいましたが、徐福伝説が残されているのを見ても、照島は古来から霊験あらたかな神秘的な島であったことは間違いないでしょう。
そのことを聞きつけてか、時の薩摩藩主・島津斉宣がこの照島を訪れています。
斉宣が照島を訪れたのは、寛政2(1790)年3月のことです。
斉宣は近くの市来温泉に湯治に来た際、照島に立ち寄りました。

今回、私も初めて照島を訪れて分かりましたが、照島には様々な奇岩をたくさん見ることが出来ます。
特に、雌淵(女池・めぶち)と雄淵(男池・おぶち)は、その代表格です。
宮崎県で言うならば、「馬ケ背(うまがせ)」のような景色と言いましょうか、長年にわたる風浪で浸食されたであろう様々な浸食岩が独自の風景美を作り出しています。
私も驚きましたが、斉宣もさぞかしその景色に驚いたのでしょう。
斉宣は、随行していた医師の河村宗澹(かわむらそうたん)に対し、雄淵の傍らにあった巨岩に、「驪龍巖(りりょうがん)」と彫るように命じました。
「驪龍」とは、一般的に前足が二本しか無い龍のことを意味しますが、雄淵の景色がまるで龍が玉を抱いてうずくまるような姿に見えたことから、斉宣はその絶景を称えるべく、家臣に「驪龍巖」と彫るように命じたのです。
その斉宣が彫刻を命じたの「驪龍巖」の文字が、何と! 現在もそのままの姿で残されており、見ることが出来るのですから貴重な史跡です。

下記に写真を載せましたが、甚だ不鮮明で、非常に見にくいかと思います……。
実は私が訪れた時、まるで台風のように風雨が激しかったのと、私自身が高所恐怖症のため(苦笑)、ちゃんと写真に収められる位置(岩の前面)に立つことが出来なかったことがその原因です。。。
照島の「驪龍巖」は、いわゆる一般向けに観光地化されている場所ではありませんので、転落防止の柵などは一切なく、高いところが苦手な人にとっては、まさに足がすくむような場所でした……。
それに加えて風も雨も激しかったのですから、ベストショットを撮るための位置に行くことは、私には到底不可能でした(苦笑)。

ちなみに、斉宣が「驪龍巖」を訪れたのは、16歳の時です。
今で言えば、高校生の時ですから、もし彼が高いところが平気であったとしたならば、童心に戻るかのように、すごく楽しかったかもしれませんね。
反対に高いところが苦手であったら、私のように恐怖で足がすくんだと思います。

斉宣が見たものと同じ景色を眺めることが出来るのは、色々な想像がかき立てられて楽しいですが、「驪龍巖」は、天気の良い日に行かれることをオススメします(笑)。

DSC_1507.jpg
「驪龍巖」の文字が刻まれた岩
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【2015/12/08 17:47】 | 史跡巡り
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