西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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島津斉宣ゆかりの史跡「驪龍巖」を見学後、さらに車で北上し、今回の史跡巡りの最終目的地である、いちき串木野市の羽島の「薩摩藩英国留学生記念館」に向かいました。

一番最初にも書きましたが、2015年は薩摩藩から19名の留学生(正確には15名の留学生+4名の視察員)がイギリスに向けて旅立った150年目を迎える節目の年であり、そのことを記念するべく、2014年7月に留学生一行がイギリスに向けて旅立った羽島浦の地に、その業績を顕彰する記念館が建てられました。
私が羽島を訪れるのは10年以上ぶりのことでしたが、その時と比べると景色が一変しており、かなり驚きました。
私が最初に訪れた当時は、留学生たちが旅立ったことを示す記念碑以外は何もなかったのですが、それが今では西洋風の豪華な造りの記念館が建てられ、その周辺は綺麗に整備され、立派に観光地化されています。
今回私が訪れたのは夏休み(お盆休み)の最中であったためか、記念館前の駐車場も満車状態でした。
昔は訪ねる人などほとんどいなかった土地に、今ではこれだけ多くの観光客が訪れているのですから、ほんと不思議ですね。

さて、記念館のことですが、館内に入ってまず感じたことは、展示のトップを飾っていたのが、留学生の高見弥市と堀孝之の二人の紹介であったのを見て、私自身、溜飲が下がると言いますか、妙に納得したことです。

余り良い話ではないので長々とは書きませんが、九州新幹線の発着駅ともなっている鹿児島中央駅の駅前広場に、「若き薩摩の群像」と呼ばれる銅像が建てられています。
鹿児島を旅行されたことのある方なら、一度はご覧になられたことがあるのではないでしょうか。
この銅像は、薩摩藩からイギリスに旅立った留学生たちをモチーフにしたもので、留学生を一体ずつ銅像にし、それらを組み合わせて、「若き薩摩の群像」と名付けたものなのですが、留学生たちの銅像を指折り数えていくと、不思議なことにその銅像が17体しかないことに気が付きます。
イギリスに旅立った留学生の数は19名のはずなのに、なぜか銅像が17体しかないのです。
実は、これには一つの理由があります。
銅像が17体しかないのは、留学生19名の内の2名が薩摩出身者ではなかったためです。

薩摩からイギリスに旅立った留学生の中に、2名だけ薩摩出身ではない人物がいました。
それが高見弥市と堀孝之の二人です。
まず、高見弥市ですが、彼は非常に変わった経歴の持ち主です。
高見は元土佐藩士で、土佐藩の藩論が大きく変わるきっかけともなった、土佐藩参政・吉田東洋の暗殺に深く関わった人物でした。
そのため高見は土佐藩を脱藩せざるを得なくなったわけですが、その後、縁あって薩摩藩の庇護を受けることとなり、後に正式な薩摩藩士となるのです。
(このことについては、本Webサイトの「薩摩的幕末雑話」の中の

第十話「新生 -薩摩藩英国留学生・高見弥市の生涯-」

に簡単に書いていますので、ご興味のあられる方はお読みになってみてください)
また、もう一人の堀孝之は、長崎出身の通詞(通訳)であり、彼も薩摩藩とは非常に縁の深い人物でした。

そんな彼らが、純粋な薩摩出身者ではないとの理由で、鹿児島において「若き薩摩の群像」が製作されるに際し、対象から除外されてしまったのです。
このことがいわゆる鹿児島独特の「閉鎖性」を象徴していると、随分以前に物議を醸したことがありましたが、前述のとおり「薩摩藩英国留学生記念館」のトップを飾る展示を彼ら二人にしたのは、おそらくそういった経緯を踏まえてのこと、つまり意図的なものであろうと思います。
罪滅ぼしと言うと、少し聞こえは悪いですが、そういったことを配慮しての展示構成なのだろうと私は感じました。

さて、少し話がそれましたが、記念館は私が期待していた以上に素晴らしい展示がなされており、薩摩藩英国留学生一行の足跡や業績を詳しく知ることが出来る資料館でした。
今回私が訪れた時は、留学生の一人である長沢鼎(ながさわかなえ)関連の企画展示がなされていましたが、それらもとても興味深く見学することが出来ました。
ちなみに、長沢は本名を磯永彦輔と言うのですが、留学の際に藩から与えられた「長沢鼎」の変名が気に入り、その後もその名で通し、後にアメリカのカリフォルニアに渡って、「ワイン王」と呼ばれたことでも有名な人物です。

羽島に来るといつも思うのですが、イギリスへの渡航を前に、留学生一行はここでどのような気持ちで、そしてどんな思いをして過ごしていたのでしょうか。
現代の海外留学とは根本的に異なり、当時の海外留学は国禁を犯しての密航であり、死を賭した決死行でもありました。
彼らのイギリス渡航が人目を忍ぶ行為であったことを示す証拠として、薩摩藩が彼らに対して下した公式な藩命は、「甑島並びに大島(奄美大島)への出張」でした。
つまり、藩は対外的にもそして対内的にも、彼らを藩内の離島へ出張させるという名目でイギリスに派遣したのです。
彼らの渡航は、いわゆる藩の上層部や近親者しか知らない、秘密裏に行われたことでした。
当時の外国と言えば、日本人にとってまさに未知の領域であり世界です。
そんな未知の世界に、人目を憚るように踏み込もうとしていた彼らの胸中を思うと、察するに余りあります。

私は羽島を訪れると、留学生たちの希望に満ち溢れた明るい気持ちを感じることはなく、逆に大きな不安や恐怖と言った、一種暗い、憂いの気持ちの方を強く感じます。
羽島を訪れた際には、是非、当時の留学生たちの気持ちを慮り、自分なりの何かを感じ取って頂ければと思います。

最後に軽い話ですが、いちき串木野市は、鹿児島名物「さつま揚げ」の本場とも言えるところで、海岸沿いを中心に、さつま揚げの工場がたくさん建てられています。
当然、私も買って帰り、舌鼓を打ちました(^^)
機会があれば、歴史的な見どころも、そして土地の名産も満載のいちき串木野市に是非足を運んでみてください。

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薩摩藩英国留学生記念館(いちき串木野市)
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【2016/01/26 17:25】 | 史跡巡り
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先日の連休に、今話題の映画『スターウォーズ・フォースの覚醒』を見てきました。

と、言いながら、実は通算3回目の鑑賞です。
同じ映画を3回も観に行ったのは、今回初めてのことですが(笑)、実は私、スターウォーズ(以後、SWと略します)の大ファンなんです(^^)

『スターウォーズ・フォースの覚醒』は、全9部作あると言われる、SWの壮大な物語の中のエピソード7の部分にあたる映画です。
既に色々な雑誌やメディアで取り上げられていますので、ここで詳しくは書きませんが、SWは、1977年に初公開された映画ですが、その時公開されたのは、エピソード4の部分でした。
SWのエピソードというのは、全て時系列で並べられていますので、エピソード4というのは、つまり、エピソード1~3の後の時代にあたります。

この初公開されたエピソード4は、映画史上に残る大ヒットを記録しました。
そして、引き続き3年おきにエピソード5と6が公開され、SWは3部作として幕を閉じたのですが、約15年以上の月日を越えて、後に復活します。
1999年、新たな3部作の第1弾として、エピソード1が公開されたのです。
つまり、エピソードをさかのぼる形で映画化されたというわけです。
もちろん、その後、エピソード2、3と続いて映画化されましたが、このような順番で公開されたため、映画『スターウォーズ』を語る際、エピソード4~6が旧3部作、エピソード1~3が新3部作という風に呼ばれるのです。

そして、2015年12月、新たなエピソードが公開されました。
それが今回の『スターウォーズ・フォースの覚醒』、エピソード7です。
SWファンの間でも、この映画の出来を巡って賛否両論あるようですが、私自身はとても面白く感じましたし、そして楽しめました。
映画については、2Dで見られても十分楽しめますが、機会があれば、是非、IMAXの3Dで鑑賞してみてください。
ものすごい迫力ですから。

SWは、謎や伏線が作品の中にたくさん散りばめられており、自分自身で色々な解釈をしたり、想像を膨らませたりすることが、とても楽しい映画であり、それが醍醐味とも言えますが、私も今回3度鑑賞しましたので、色々と気づく点があったり、自分なりの解釈が生まれました。
完全にSWを見た人・好きな人向けのコアな話ですが、エピソード7について、私なりの解釈を書いてみたいと思います。

※注意
これ以降は、完全に映画の「ネタバレあり」で書いています。
映画を見られた方、読まれたい方のみ、「続きを読む」をクリックしてお読みください。
さて、今回のエピソード7で提示された最大の謎は、

「主人公・レイは誰の子供か?」

ということに尽きるかと思います。

普通に解釈すれば、「ルークの子供」ということになるかと思いますが、この点については、SWファンの間でも意見が分かれています。
ハン・ソロとレイアの子供説、オビ=ワンの血を受け継ぐ者説、はたまたダース・シディアス(パルパティーン)の子孫では? などと諸説出ていますが、やはり私は素直にルークの子供だと解釈した方が良いのではないかと思っています。

SWという映画が、壮大な家族の物語であることを前提に考えると、EP1~3は、アナキンとパドメの夫婦関係、そしてオビ=ワンとの師弟関係を描き、EP4~6は、ダース・ベイダーとルークの親子関係を描いたわけですが、そうなると、EP7~9は、カイロ・レン(以下、レン)とレイの兄妹関係を描いているという風に解釈した方がすんなり納得がいくからです。

そう、レンとレイは、実は血を分けた「兄妹」であると、私は解釈しています。

そうなると、「レンとレイの両親は誰か?」という点ですが、EP7では、レンはハン・ソロとレイアの子供として描かれていましたが、レンの名前がオビ=ワンを髣髴させる「ベン」であるとするならば(EP1でオビ=ワンは、ベンと名乗っていた)、やはりオビ=ワンのことを慕うルークが親だと考える方がすんなりと理解できます。
つまり、ルークは、自らの師匠でもあるオビ=ワンの変名を自分の子供にあやかって付けた、ということです。

ただ、EP1~3でも描かれましたが、ジェダイにとって恋愛や結婚は禁忌です。
そのことから、確かにアナキンがダークサイドに落ちるきっかけとなるわけですので、ジェダイであるルークが結婚して子供が居ることに違和感を感じる、という話がネット上でも多々出ています。
しかしながら、「ジェダイは結婚できない」という厳しい戒律があったのは、ジェダイが正式に機能していた時代(EP1~3)の話であって、ルークに置き換えるのはどうだろう? とも言えます。
そもそもルークはジェダイの血を受け継ぐ者であっても、正式なジェダイではないとも言えますし、ジェダイが死に絶え、強大なフォースを受け継ぐ者がルークとレイアしかいない中、彼らが結婚して子孫を持つことが必要であったとも言えると思います。

ただ、そうなると、EP7の中でレンがソロとレイアの子として描かれていることに大きな矛盾が生じます。
しかしながら、私はこう解釈します。

レンは、ソロとレイアの養子であった、と。

もう一つの謎でもありますが、EP7の中で、レンがソロに対して、異常なまでの怒りを持っていることが描かれています。
レンはそのことにより、ソロを殺すことになるわけですが、私はレンがソロを恨む理由を次のとおり解釈しています。

ルークは、自らの子であるレンとレイの兄妹が幼い頃、何かしらの理由で、かって父・ベイダーがそうであったように、レンの中にダークサイドに繋がるようなきっかけを感じます。
私流に解釈すれば、兄であるレンより妹のレイの方が強大なフォースを受け継いでおり、そのことに対して、レンがレイに対して妬みや嫉妬、怒りなどを次第に感じるようになったことがきっかけであったのではないかと考えています。

怒りや嫉妬などがダークサイドに繋がるものであることは、これまでEP1~6の間に描かれてきたとおりです。
そのため、大きな危険を察知したルークは、兄妹を引き離し、レンをジェダイとは無縁の世界で育てるべく、子供がいなかったソロとレイアに預けた。
レンはそのことを知らずに育ったが、ある時、自らの出生の秘密を知ることになります。
レンがソロを恨んでいるのは、実父だと思っていたソロがそうではなかったことに起因し、そういった出生の秘密を自分に内緒にしていたからではないかと、私は解釈しています。

そうなると、EP7のクライマックスで、レンがソロを殺したのは、「親殺し」では無かったということになります。(養父殺しですね)

私自身は、壮大な家族の物語であるSWで、「子が親を殺す」というテーマは似つかわしくないような気がしています。
思い起こせば、EP1~3の中で、アナキンは妻・パドメの命を救おうと思い余って、結果、ダークサイドに誘惑に落ちました。
そしてまた、EP4~6の中では、ルークは父・ベイダーを許し、父の良心を呼び起こして、最後救済します。
こういった風に、SWの底辺に流れているものは、家族を思いやる気持ちであり、愛情であるわけですから、レンが実父に手をかけたとするのは、ちょっと考えられないな、と思います。

ただ、EP7の中で、ソロとレイアが「ベンをルークに預けたが駄目だった」的な発言をしているので、ルーク実子説については、その点に大きな矛盾が生じますが、レンが成長していく中で、次第に祖父・ベイダーに対する尊崇の念と言うか、大きな憧れを抱きつつあったため、それを是正・軌道修正すべく、ルークに預け直した(ソロとレイアの子供として)、と解釈するのもアリではないかと思います。

また、ハックス将軍がレンに対して、「自分の目的を優先するな」的な発言をしたのは、「父探し」であることを暗示しているという解釈も成り立ちます。
また、レイアだったと思いますが、「ルークに預けたことが逆効果だった」的な発言をしていましたが、それもレンに出生の秘密を知られる結果となったことを暗示しているのではないかと思います。

随分コアな話になりましたが、私が3回鑑賞した結果導き出した解釈は以上のとおりですが、あくまでも想像の話ですので。
ただ、レンとレイが兄妹であることは間違いないような気がしますね。
EP7には、その他にもたくさんの謎がありますが、また、別の機会に書きたいと思います。


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【2016/01/12 17:23】 | 雑感
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明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年はブログもなかなか更新できない一年となってしまいました。
ブログを始めて分かりましたが、ブログって難しいですね。
私の場合、じっくり書こうと考え過ぎるきらいがあるからでしょうか、時間に余裕がある時以外なかなか手が付けられないのです。
かと言って、ツイッターみたいに短い単語を呟くのも性に合わないので、今年も細々ですがブログで発信していこうと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

しかし、時代の流れって、ほんと早いですよね。(何だか年寄りみたいな発言ですが)
私が西郷隆盛のホームページ「敬天愛人」を開設したのが今から約16年前の1999年のことですが、当時は歴史系の個人ホームページもたくさんあり、色々なWebサイトに掲示板が作られ、活発な交流が行われていましたが、今ではそのほとんどが無くなり、今やブログに始まり、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム?(←未だに意味が分かりません・笑)と、どんどん情報伝達手段も進化していき、ほんともう中年にはツイて行けない様相を呈しています(苦笑)。
あくまでも個人的な感想ですが、便利になったのか、それとも不便になったのか、正直訳が分からない時代になってしまいました。

また、昨年鹿児島に行った時にも強く感じましたが、鹿児島の街も大きく変わり、何だか近代的な街並みになってしまい、何だか時代が大きく過ぎていったなあ……、なんて感傷的な気持ちに浸りました。
NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」が放映されていた平成2年と比べると、ほんと様変わりしてしまいました。
古き良き鹿児島の風景が失われてしまったと言いますか……。

鹿児島に限らず、正月の風景をもってしても、ほんと世の中の風景が一変してしまいましたね。
正月と言えば、昔はお店も全部閉まっていて、街もシーンとした静寂に包まれ、「正月だなあ」と感じたものですが、今や普段とほとんど何も変わりませんからね。
やはり私は昭和を懐かしむ男のようです。
最近は島津久光の懐古思想が理解できるようになってきました(笑)。

と、少し話がそれましたが、ホームページの更新についても、掲載する文章はかなり出来上がっているのですが、なかなか手が付けられずにいます。
今年はそれらも更新していこうと思っています。

では、皆様にとっても、今年一年、良い年になりますように。

「敬天愛人」管理人・tsubu

【2016/01/04 17:17】 | 雑感
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