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西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
少し遅れましたが、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、いよいよNHK大河ドラマ『西郷どん』が始まりましたね。
先日の第一回目の放送を見ましたが、これからどう展開していくのかがとても楽しみです。
大河が放映されると、史実云々の話が必ず出ますが、大河ドラマは所詮エンターテイメント性を重視したフィクションですので、史実を大きく踏み外していない限り、面白く描けば良いのではないかと思います。

さて、今回の設定では、西郷家と大久保家が隣り同士ということになっています。
無論これはフィクションで、両家は下加治屋町の中でも少し離れた場所にありました。
と言っても、ものすごく近い距離です。約100mくらいでしょうか。現地を訪れればその距離を実感できますので、是非大河ドラマの放映を機に、鹿児島に出かけて体験してみてください。

また、先日見たテレビ番組によると、大久保家は西郷家よりも土台が高く盛られ、一段上に西郷家を少し見下ろすような形で作られているとか。
これは大久保家が西郷家よりも裕福であったことを暗に示すためだそうです。
確かに、大久保の父である次右衛門(利世)は、琉球など南島諸島からの産物が集まる琉球館詰めの役人を務めていましたので、西郷家よりも比較的裕福であったことは間違いありません。
ただ、そんな大久保家も、次右衛門が「お由羅騒動」に巻き込まれ、喜界島に遠島になると、大久保自身も記録所書役助を免職の憂き目にあい、急激に家計が逼迫します。
このあたりは次回以降に描かれることになるでしょう。
ちなみに、次右衛門が勤務していた琉球館は、現在の鹿児島市立長田中学校の場所にあり、その敷地内にそれを示す石碑が建っています。(写真)

DSCF0909.jpg
(琉球館跡)

さて、第一回目では、妙円寺詣りと後の妻となるイトや斉彬との出会い、そして幼少期に刀傷を負ったことが中心に描かれていましたね。

妙円寺詣りとは、関ヶ原の合戦に出陣し、敵中突破を果たした島津義弘の遺徳を偲ぶ伝統行事です。
旧暦の9月14日になると、鎧や兜に身をかためた城下の侍たちが集まり、鹿児島市内から伊集院にある義弘の菩提寺・妙円寺(現・徳重神社)までの往復約40㎞の道のりを夜を徹して歩き、当時の苦難を偲びながら参拝するもので、現在も鹿児島の伝統行事の一つとして行われています。
若き日の西郷や大久保たちがこの行事に参加していたことは間違いありません。若き日の大久保の日記に妙円寺に参拝した記述が出てくるからです。

ドラマ内では、男装したイトがその集団に混じっていましたが、西郷とイトとは15歳も年が離れています。
イトの男装を見て思い出したのが、27年前の大河ドラマ『翔ぶが如く』のことです。
『翔ぶが如く』においても、イトは西郷信吾(後の従道)や大山弥助(後の巌)と共に鉄砲をぶっ放すなど、男勝りな人物として描かれていましたね。
そのイト像に対し、『西郷家の女たち』の著作でも有名な作家の阿井景子さんが、当時強く反論されていたことを思い出しました。

しかしながら、西郷が刀傷を受けたのは11~13歳の頃であったと伝えられていますので、単純に考えれば、当時イトはまだこの世に生まれていないことになります。
まあ、これはドラマですから仕方ありませんね。
ちなみに、この後、大久保がイトに恋をしてふられる設定のようですよ(苦笑)。

最後に西郷が負った刀傷について。
ドラマでは肩に傷を負っていましたが、伝承では右ひじであったと言われています。
それ以来、西郷は右ひじを真っ直ぐに伸ばすことが出来なくなり、剣術を諦め、学問に精を出すことになったと伝えられていますが、あくまでも伝承レベルの話と言えるかもしれません。
歴史上の人物の幼少時の話は不確かなものが多く、少し話が盛られている可能性もありますので。

また、西郷に刀傷を負わしたのは、横堀三助という人物だと伝えられています。
これは明治31年に発行された村井弦斎『西郷隆盛一代記』が元になっているものでしょう。
ただ、同書には横堀三郎とあり、三助ではありません。
どこで三郎が三助になったのか浅学のため知りませんが、明治27年に発行された勝田孫弥『西郷隆盛伝』には、「聖堂の帰途に友人と議論せしが終に争闘と為り」とあるだけで人物名までは言及されていないところを見ると、よく分からないというのが実態かもしれません。
ちなみに聖堂の帰途と言うのは、藩校・造士館の帰り道ということでしょうね。
今で言うと、学校帰りにケンカを売られたということです。

次回は西郷も成長し、青年になるようですが、どのような展開になるのか今から楽しみです。

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【2018/01/09 12:00】 | NHK大河ドラマ「西郷どん」
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鶴ヶ魂
西郷隆盛は決して義理人情に厚い一辺倒の人間ではない。
赤報隊の処分や暴徒を使った幕府への挑発など見ても分かるように思わず眉を顰めたくなるも持っている。
しかし最後には結局新政府軍と激戦を繰り広げて見事に散っていった。
西郷が挙兵という知らせに東京の人間が沸き上がったというがそれだけ当時の維新政府が腐りきっていたという証拠であろう。
公正な判断をしようとした江藤新平を邪険に扱い政府から追い出して反乱者としてさらし首にした藩閥政府の連中は身内に賄賂を垂れ流し、官有物を不当に廉価で自分の部下に払い下げ、女遊びに興じていた。

俺は「明治維新」ははっきりと日本にとって過ちであったと思っているが、この二人の最期の抵抗にはそれを帳消しにするほどの意義があったと思う。

ちゃんとこういう部分を長州びいきの政権下で描写できるか、NHKスタッフの気概に期待したいものです。


-
赤報隊の処分 -> 現在の研究では赤報隊は無法の徒であり政府の処断は妥当。
暴徒を使った幕府への挑発 ->江戸の暴走で西郷(京都)は止めようとしていた。
西郷が挙兵という知らせに東京の人間が沸き上がったというが ->そんな話はない。
江藤新平を邪険に扱い政府から追い出して -> 政争に敗れ自分で下野。
官有物を不当に廉価で自分の部下に払い下げ→西郷死後の開拓使官有物払下げ事件のことか。赤字事業の清算なので妥当な話。減価償却ぐらい知っておきましょう。


ukoji
赤報隊の処分や江戸挑発は後日聞いていたと思いますが
西郷がさせたとは性質上考えにくいです。
管理者の著書を熟読されることを願います

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この記事へのコメント
西郷隆盛は決して義理人情に厚い一辺倒の人間ではない。
赤報隊の処分や暴徒を使った幕府への挑発など見ても分かるように思わず眉を顰めたくなるも持っている。
しかし最後には結局新政府軍と激戦を繰り広げて見事に散っていった。
西郷が挙兵という知らせに東京の人間が沸き上がったというがそれだけ当時の維新政府が腐りきっていたという証拠であろう。
公正な判断をしようとした江藤新平を邪険に扱い政府から追い出して反乱者としてさらし首にした藩閥政府の連中は身内に賄賂を垂れ流し、官有物を不当に廉価で自分の部下に払い下げ、女遊びに興じていた。

俺は「明治維新」ははっきりと日本にとって過ちであったと思っているが、この二人の最期の抵抗にはそれを帳消しにするほどの意義があったと思う。

ちゃんとこういう部分を長州びいきの政権下で描写できるか、NHKスタッフの気概に期待したいものです。
2018/01/12(Fri) 17:06 | URL  | 鶴ヶ魂 #I9fgO9Q6[ 編集]
赤報隊の処分 -> 現在の研究では赤報隊は無法の徒であり政府の処断は妥当。
暴徒を使った幕府への挑発 ->江戸の暴走で西郷(京都)は止めようとしていた。
西郷が挙兵という知らせに東京の人間が沸き上がったというが ->そんな話はない。
江藤新平を邪険に扱い政府から追い出して -> 政争に敗れ自分で下野。
官有物を不当に廉価で自分の部下に払い下げ→西郷死後の開拓使官有物払下げ事件のことか。赤字事業の清算なので妥当な話。減価償却ぐらい知っておきましょう。
2018/01/13(Sat) 10:03 | URL  |  #-[ 編集]
赤報隊の処分や江戸挑発は後日聞いていたと思いますが
西郷がさせたとは性質上考えにくいです。
管理者の著書を熟読されることを願います
2018/01/15(Mon) 22:53 | URL  | ukoji #4tZXgICc[ 編集]
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