FC2ブログ
西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
第3回では、西郷家の貧窮と借金が描かれていましたね。
確かに、西郷家は多額の借金を背負っていたことが分かっています。

弘化4(1847)年12月、つまり西郷が19歳の時、父・吉兵衛と共に薩摩郡水引村(現在の薩摩川内市)の豪農であった板垣家を訪れ、百両というお金を借りています。
ドラマ内でも吉兵衛が板垣に対して、「百両貸して欲しい」と言っていましたが、これは史実どおりです。
ただ、ドラマでは赤山靭負の紹介で初めて板垣家を訪れたような形で描かれていましたが、実際西郷家と板垣家は昵懇の間柄であったそうです。

また、西郷家は板垣家から百両だけでなく、年が明けた嘉永元(1848)年正月にも追加で百両、つまり合計二百両借りています。
当時の一両を現代のお金に換算するのはなかなか難しいですが、便宜的に一両を八万円程度と見積もると、この時、西郷家は一千六百万円程度の多額の借金をしたことになります。
このような形で西郷家が大金を借りた理由は、基本的に生活苦によるものでしたが、一般には「高(知行地)の買い入れのため」だったと言われています。

『西郷隆盛全集』内に、西郷家「万留(よろずとどめ)」という、西郷家の家政上の記録をまとめた文書が掲載されています。
その「万留」を読むと、西郷家の経済状況の移り変わりが詳細に分かり、とても興味深いのですが、その文書によると、板垣家から借金をした弘化4年当時、西郷家は四十七石の禄高を有していたことが分かっています。
『鹿児島県史第二巻』の記述を少し借りると、薩摩領内は「蔵入高」と「給地高」に大別されました。蔵入高とはその貢租が藩庫に入る高、すなわち藩直轄の土地であり、給地高とは藩士が知行として与えられた土地のことを意味します。
一概には言えませんが、基本的に武家の家臣は藩主から知行地を与えられ、そこから生産される米などの収入と藩の役職等に就くことによって支払われる手当(いわゆる給与)により生計を立てていました。
西郷家の禄高が四十七石であったと聞くと、武家人口が多い薩摩藩の中では中流程度の生活をしていたかのように思われますが、当時その禄高は借金の抵当や生活費の工面のため既に売り払われるなどして、ほとんど名目上だけのものになっており、その実態はなかったものと考えられています。(芳即正「西郷家貧乏物語」『天を敬い人を愛す―西郷南洲・人と友―』参照)
つまり、弘化4年当時の西郷家は、実質的に「無高」の状態であったということです。

ここで弘化4年末の西郷家の家族構成を見てみると、

(祖父)龍右衛門
(祖母)名前不詳(日置郷士四本大清院の妹)(大河では「きみ」になっています)
(父)吉兵衛
(母)まさ
(弟)吉二郎、信吾、小兵衛
(妹)琴、鷹、安

と、西郷の他に十人もの家族が居ました。
また、「万留」によると、当時の西郷家は「現人数拾四人」とあることから、おそらく家族の他に使用人が三人居たのでしょう。
つまり、西郷家は十四人の大所帯だったのです。

DSCF0728.jpg
(西郷隆盛誕生地)

この大家族の生活費を一家の大黒柱である吉兵衛と西郷の役職手当だけで賄わなければならなかったのですから、その生活はさぞかし苦しかったに違いありません。
当時の西郷は郡方書役助の職に就いていたとは言え、役職柄薄給であり、父の勘定方小頭であった吉兵衛の稼ぎと合わせても、大家族が余裕をもって暮らしていけるような収入はなく、生活はとても苦しかったものと思われます。
『西郷隆盛全集 第四巻』付属の月報4に、吉元正幸「西郷家「万留」について」という論文が掲載されていますが、それによると、吉兵衛の役職手当は銀六枚であり、西郷は四石の給与を授かっていたようです。

このような事情から、西郷家は高(知行地)を購入し直すことを考えました。
薩摩藩では、武士による高の売買が認められていたことから、西郷家は少しでも生活費の足しにしようと、安定的な収入を得られる高を買い戻そうと考えたのです。
当然、高の購入のためには、お金が必要になってきますが、西郷家にはそのような費用を捻出する余力は無かったのでしょう。
西郷と吉兵衛は、高購入のためのお金を工面するため、日頃から懇意にしていた豪農の板垣家を訪れ、百両という大金の借金を申し込んだと言われています。

以上が西郷家が板垣家から借金をした理由なのですが、実はそんな西郷家の計画を全て台無しにするような事態が生じました。
芳即正「西郷家貧乏物語」『天を敬い人を愛す―西郷南洲・人と友―』を参照して書きますが、西郷家は板垣家から借りたお金で、高の値の相場が一石あたり十二貫文と安い時期に高を購入したのですが、薩摩藩は投機目的で高を購入する者が出ることを防ぐため、高一石あたり二十貫文という公定価格を設け、その公定価格を過去に売買のあった高に対しても適用するとの布令を出したのです。
この藩の政策により、西郷家は窮地に立たされました。
つまり、西郷家は高一石を十二貫文で購入していたため、一石あたり八貫文の追徴金を支払わなくてはならなくなったからです。
結果、西郷家はその追徴金の支払いのため、急きょお金が必要になり、年が改まった嘉永元年正月、西郷家は板垣家から追加で百両借りることになったと言われています。

西郷家の借金の話で終わってしまいましたが、実はこの借金話には後日談があります。
この時、西郷家が板垣家から借りた合計二百両のお金については、利息を一年ばかり払ったきり、長らく返済が滞っていたのですが、明治5年6月、西郷が明治天皇の行幸に付き従い鹿児島に帰国した際、板垣家に返金しているのです。
つまり、西郷は二十年以上前の借金をしっかり覚えていて、丁寧に礼状をつけて、板垣家に利子を付けて返金したのです。
このことは、拙著『維新を創った男 西郷隆盛の実像』内にも書きましたが、西郷の西郷たる所以、その律儀な人柄を示す、とても良いエピソードではないでしょうか。

他にも色々と書きたかったのですが、今回は長くなりましたのでこの辺で。
次回から「お由羅騒動」が描かれそうですね。
楽しみです!

FC2blog テーマ:大河ドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

【2018/01/22 17:20】 | NHK大河ドラマ「西郷どん」
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック