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西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
第6回では、西郷と中濱万次郎、いわゆるジョン万次郎との交流が描かれました。
もちろん、この二人が「会った」という証拠はありませんが、「会わなかった」という証拠もないことから、あのような描き方をしたのでしょう。(大河ドラマは、基本そういうスタンスです)
ただ、後述しますが、薩摩にやって来たジョン万次郎は、厳戒な警備の下で保護されていたようですので、西郷が会える可能性はゼロに等しいものであったと思います。

前々回の斉興と斉彬のロシアンルーレットと言い、最近少し過剰な演出が目立ちますが、良くも悪くも、大河ドラマはもはや史実云々と細かく言うレベルの代物ではなく、あくまでもフィクションとして、寛容な気持ちで視聴しなければならないものであるということを改めて認識する時期が来たということでしょうね。
大河ドラマが放映されると、必ず「史実云々」という批判が生じますが、そのような無用な批判を受けないためにも、NHKは放送の最後に、「このドラマは事実を元に創作したフィクションです」というテロップを出すべきだと思います。この一言が全く無く、さも史実らしく見せかけた演出を行うので、世間が騒がしくなるのです。

また、第6回の話をする前に、今回の放送を見て率直に感じたのは、物語の進行が非常に遅いということです。
平成2年に放映された大河ドラマ『翔ぶが如く』と比べると、同ドラマの第6回目は「庭方役拝命」という話で、西郷はもう既に江戸に出ています。
はっきり言えば、今回のジョン万次郎との交流話は、西郷の生涯を描くために必ずしも必要とはしないものだと思いますので、このような遅い進行をとることにより、もっと掘り下げて描かなければならない肝心な部分がスルーされてしまうのではないかと少し心配になりました。

さて、ここから第6回に話を移しますが、相撲で斉彬を投げ飛ばした罪で牢獄に入れられた西郷は、そこでジョン万次郎こと中濱万次郎と出会い、その後に交流を深めます。(以下、全て万次郎で統一します)
ドラマ内で描かれていたとおり、万次郎が薩摩に来たことは間違いない事実です。
『鹿児島県史料 斉彬公史料 第一巻』に「中濱萬次郎申口」という文書が入っており、それを参考にして書きますが、万次郎が薩摩に到着したのは、嘉永4(1851)年7月29日のことです。当時西郷は23歳です。

万次郎は土佐の貧しい漁師の家に生まれ、仲間四人と共に鰹釣り船で漁に出た後、時化(しけ)にあって遭難し、無人島での漂流生活を経て、アメリカの捕鯨船に救助されたいう話は一般にも良く知られています。
少し話がそれますが、万次郎と同じく土佐の出身で、船で米を運搬中に万次郎と同じく遭難し、後に漂流生活を送った野村長平という人がいます。
長平の漂流は、万次郎の漂流より60年ほど前の話になりますが、この長平の漂流生活をリアルに描いたのが、吉村昭の小説『漂流』です。
当時の漂流生活がいかに過酷なものであったのかと長平の凄まじいばかりの強靭な精神力を知ることが出来ますので、ご興味のある方は是非読んでみてください。オススメの小説です。

話を戻しますが、アメリカ本土に渡った万次郎はそこで教育を受け、最終的には日本に帰国するためにカリフォルニアで金鉱夫となり、帰国のための資金を得た後、ハワイ経由で琉球(現在の沖縄県)に帰還します。
当時の琉球は薩摩藩が支配していた土地であったことから、当時の在番奉行の島津登(久包)は、万次郎を薩摩へと護送するのですが、その際に万次郎に与えた品が「中濱萬次郎申口」に次のように記されています。

一、単物 一枚
一、袷 一枚
一、帯 一
一、蚊帳 二張
一、焼酎 一斗


与えた品の中に焼酎が入っているのが、薩摩らしいと言えば、薩摩らしいですよね(笑)。

さて、琉球から薩摩本土へと送られた万次郎は、薩摩半島の南方、指宿に近い山川港に着き、そこから鹿児島城下へと護送され、ドラマでも字幕が出ていましたが、城下西田町の下会所に収容されました。

DSCF0895.jpg
西田橋御門(復元)

第6回では、西郷は万次郎と獄中で出会っていましたが、「中濱萬次郎申口」によると、万次郎には、

「御侍一人、平役人、御組ノ者共五人ツゝ付ケラレ」

とあり、その身辺は厳重に警備されていたことは間違いありませんが、おそらく投獄されたのではなく、屋敷内に隔離・保護されていたものと思われます。

また、少し書きそびれましたが、万次郎は伝蔵と五右衛門という、二人の漂流仲間と一緒に日本に帰国しました。
万次郎と共に遭難した四人の仲間の内、一名はハワイに残り(寅右衛門)、もう一名はハワイで病死していたからです(重助)。
そのため、万次郎は三人で薩摩にやって来たのですが、ドラマ内ではその辺りの事情は描かれていませんでしたね。

万次郎一行は、薩摩において約一ヶ月半拘留され、後に長崎へ送られたのですが、薩摩に滞在している間、斉彬の特命により、彼らに対して様々な聞き取りを行ったようです。
「中濱萬次郎申口」には、次のようにあります。(漢字等を改めて読みやすくしました)

「事情質問のため、田原直助及び船大工等三、四名を日々居所に遣わし、専ら造船、あるいは航海術、あるいは捕鯨のことを聞き、筆記し、あるいは捕鯨船の模型を作らしめたり」

斉彬は万次郎の訪薩を「しめた!」とばかりに喜んだのではないでしょうか。
この時とばかりに、後に薩摩藩で造船業に携わることになる田原直助や船大工を派遣し、造船法を聴きだそうとしていることからも、斉彬の西洋式造船への強い意欲がうかがえます。
そして、そこで得た知識が、後に薩摩藩が完成させた西洋式軍艦・昇平丸の建造に役立ったことは改めて言うまでもありません。

斉彬にとって、万次郎らは生ける教材であったと言えるかもしれませんね。
ちなみに、後に万次郎は、薩摩藩が設立した洋学校・開成所に教授として招聘されています。
もしかして、開成所で西郷と再会するシナリオを考えているのかもしれませんね。

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【2018/02/12 17:05】 | NHK大河ドラマ「西郷どん」
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なんと!?
日高建男
万次郎に漂流仲間が居たとば知りませんでした・・というか日本人の多くの人は知らないのではないでしょうか?さすが幕末、提示すべき一級の情報は山とありますね。相撲とっている場合ではないかもしれません(笑)

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この記事へのコメント
なんと!?
万次郎に漂流仲間が居たとば知りませんでした・・というか日本人の多くの人は知らないのではないでしょうか?さすが幕末、提示すべき一級の情報は山とありますね。相撲とっている場合ではないかもしれません(笑)
2018/02/13(Tue) 04:57 | URL  | 日高建男 #-[ 編集]
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