西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
本日、三好徹『松岡洋右』を読了しました。

三好徹さんは、私の好きな作家の一人です。
幕末・明治に活躍した人物に関する小説をたくさん書いておられる方ですが、特に桐野利秋を描いた『青雲を行く』は、私の好きな小説の一つです。

『青雲を行く』は、ほんとオススメですよ。
「人斬り」のイメージが強い桐野の印象が変わること請け合いです。
桐野利秋は、一種西南戦争のスケープゴートにされていると私は思っています。
西郷隆盛を批判できない人、批判したくない人たちが「西南戦争は桐野の戦争だった」みたいなことを言って、彼の評価を落としたと考えていますので。

少し話がそれましたが、あと『孤雲去りて』(板垣退助の小説)なんかも好きですね。
板垣の明治後の動きなんかが詳細に書かれていますので、とても興味深く読めますよ。
さて、『松岡洋右』ですが、わりと面白く読みました。
実は私自身、近代史には詳しくない、いや相当知識が欠けています(^^;
特に、大正から昭和にかけての歴史知識が浅いので、自分でも困ったものだと思っており、何とかその辺りの知識を補完しようと努力はしてはいるのですが、なかなか上手くいきません。
なぜなら、特にこの時期の歴史関係書は、作者の主観によって判断が大きく分かれますからね。
作者によっては、書いていることが真逆だったりしますので、どれが正しいのかを判断するのが、近代史に無知な私にとって、とても苦労します。

と、前置きはこの辺りにして、なぜ今『松岡洋右』を読んだのかと言うと、今年の7月に山口県に旅行したことがきっかけです。
山口に行くのは久しぶりのことだったのですが、山口では湯田温泉の「松田屋ホテル」に宿泊しました。
幕末好きの方なら説明不要だと思いますが、松田屋ホテルは、幕末・維新期の長州藩士達ゆかりのとても由緒ある旅館です。
ここに泊まるのが念願だったんですよね~。
邸内の庭園には、西郷や木戸(孝允)らが倒幕の密議をした会見所の建物なんかも残っており、幕末の雰囲気を味わえる場所ですよ。
「維新の湯」なんていう、幕末維新の志士達が入浴したと言われるお風呂なんかもあります。

また、湯田温泉周辺には、たくさん幕末関連の史跡があります。
井上聞多(馨)が刺客に襲われ、瀕死の重傷を負った場所や周布政之助が自刃した場所、木戸孝允の旧宅や大村益次郎が宿所とした普門寺、赤根武人の顕彰碑なんかもありますね。
とにかく湯田温泉周辺には、幕末関連の史跡が多いので見所一杯ではあるのですが、今回は「菜香亭(さいこうてい)」という史跡を見てきました。

菜香亭は、明治初年に開業した料亭で、山口県出身の政治家たちに親しまれたところです。
現在、料亭自体は廃業され、その建物だけが観光施設となっているのですが、邸内の大広間には、明治維新の元勲達、初代総理大臣の伊藤博文から現首相の安倍さんまで、著名人達の扁額が所狭しと飾られていて壮観です。

その菜香亭を見学した際、展示されていた一枚の写真に目が留まりました。
菜香亭の大広間で撮影された、松岡洋右を中心とした集合写真です。
説明書を見ると、日本が国際連盟を脱退した後、山口に帰郷した松岡のために、山口県知事主催の午餐会を菜香亭で開いた時の写真とありました。
私自身、国際連盟を脱退した際の日本代表が松岡洋右であったことはうっすらと知っていましたが、実は恥ずかしながら、松岡が山口出身、いわゆる長州藩出身だとは知りませんでした。

松岡に関しては、とても評価が分かれている人物であることは知っています。
松岡は、日・独・伊の三国同盟を推進した人物で、いわゆる東京裁判にて、太平洋戦争開戦の責任を問われ、A級戦犯の容疑をかけられました。
ただ、私自身はその人となりを全く知らず、素朴に実際はどんな人物だったのかな? と思い、三好さんの小説『松岡洋右』に行き着いたというわけです。

ただ、読み終えての感想ですが、やはり「?」が多いですね。
松岡の考え方がイマイチつかめない。理解出来ないと言うか、分からないことが多いということです。
アメリカで苦学し(松岡はオレゴン州立大学卒です)、アメリカの国力も十分に知っていたはずの松岡が、なぜ日米開戦に突き進む日本を外交面から牽引したのか?
三好さんの論では、松岡は三国同盟の先にソ連をターゲットにしていて、日米の衝突を牽制しようとした(つまり、ソ連を含めた四カ国同盟を築き、日米開戦を避けようとした)ということでしたが、果たしてどうなのでしょうか?
私自身は知識が非常に浅いため、なかなか判断がつきにくいところですが、アメリカの強大さを嫌と言うほど知っていた松岡が、日米開戦を積極的に推進したとは、確かに考えづらくはあります。(結果はそうなってしまったのでしょうが)
ただ、松岡自体が時局を楽観視したことへの批判は免れないでしょうね。

※菜香亭と松岡洋右のことについては、「菜香亭ブログ」にて。

松岡洋右―夕陽と怒濤 (人物文庫)松岡洋右―夕陽と怒濤 (人物文庫)
(1999/07)
三好 徹

商品詳細を見る


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さて、『松岡洋右』ですが、わりと面白く読みました。
実は私自身、近代史には詳しくない、いや相当知識が欠けています(^^;
特に、大正から昭和にかけての歴史知識が浅いので、自分でも困ったものだと思っており、何とかその辺りの知識を補完しようと努力はしてはいるのですが、なかなか上手くいきません。
なぜなら、特にこの時期の歴史関係書は、作者の主観によって判断が大きく分かれますからね。
作者によっては、書いていることが真逆だったりしますので、どれが正しいのかを判断するのが、近代史に無知な私にとって、とても苦労します。

と、前置きはこの辺りにして、なぜ今『松岡洋右』を読んだのかと言うと、今年の7月に山口県に旅行したことがきっかけです。
山口に行くのは久しぶりのことだったのですが、山口では湯田温泉の「松田屋ホテル」に宿泊しました。
幕末好きの方なら説明不要だと思いますが、松田屋ホテルは、幕末・維新期の長州藩士達ゆかりのとても由緒ある旅館です。
ここに泊まるのが念願だったんですよね~。
邸内の庭園には、西郷や木戸(孝允)らが倒幕の密議をした会見所の建物なんかも残っており、幕末の雰囲気を味わえる場所ですよ。
「維新の湯」なんていう、幕末維新の志士達が入浴したと言われるお風呂なんかもあります。

また、湯田温泉周辺には、たくさん幕末関連の史跡があります。
井上聞多(馨)が刺客に襲われ、瀕死の重傷を負った場所や周布政之助が自刃した場所、木戸孝允の旧宅や大村益次郎が宿所とした普門寺、赤根武人の顕彰碑なんかもありますね。
とにかく湯田温泉周辺には、幕末関連の史跡が多いので見所一杯ではあるのですが、今回は「菜香亭(さいこうてい)」という史跡を見てきました。

菜香亭は、明治初年に開業した料亭で、山口県出身の政治家たちに親しまれたところです。
現在、料亭自体は廃業され、その建物だけが観光施設となっているのですが、邸内の大広間には、明治維新の元勲達、初代総理大臣の伊藤博文から現首相の安倍さんまで、著名人達の扁額が所狭しと飾られていて壮観です。

その菜香亭を見学した際、展示されていた一枚の写真に目が留まりました。
菜香亭の大広間で撮影された、松岡洋右を中心とした集合写真です。
説明書を見ると、日本が国際連盟を脱退した後、山口に帰郷した松岡のために、山口県知事主催の午餐会を菜香亭で開いた時の写真とありました。
私自身、国際連盟を脱退した際の日本代表が松岡洋右であったことはうっすらと知っていましたが、実は恥ずかしながら、松岡が山口出身、いわゆる長州藩出身だとは知りませんでした。

松岡に関しては、とても評価が分かれている人物であることは知っています。
松岡は、日・独・伊の三国同盟を推進した人物で、いわゆる東京裁判にて、太平洋戦争開戦の責任を問われ、A級戦犯の容疑をかけられました。
ただ、私自身はその人となりを全く知らず、素朴に実際はどんな人物だったのかな? と思い、三好さんの小説『松岡洋右』に行き着いたというわけです。

ただ、読み終えての感想ですが、やはり「?」が多いですね。
松岡の考え方がイマイチつかめない。理解出来ないと言うか、分からないことが多いということです。
アメリカで苦学し(松岡はオレゴン州立大学卒です)、アメリカの国力も十分に知っていたはずの松岡が、なぜ日米開戦に突き進む日本を外交面から牽引したのか?
三好さんの論では、松岡は三国同盟の先にソ連をターゲットにしていて、日米の衝突を牽制しようとした(つまり、ソ連を含めた四カ国同盟を築き、日米開戦を避けようとした)ということでしたが、果たしてどうなのでしょうか?
私自身は知識が非常に浅いため、なかなか判断がつきにくいところですが、アメリカの強大さを嫌と言うほど知っていた松岡が、日米開戦を積極的に推進したとは、確かに考えづらくはあります。(結果はそうなってしまったのでしょうが)
ただ、松岡自体が時局を楽観視したことへの批判は免れないでしょうね。

※菜香亭と松岡洋右のことについては、「菜香亭ブログ」にて。

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【2013/09/12 08:33】 | 読書感想
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おめでとうございます(^-^)
”華”煌めく
ブログ開設おめでとうございます。
掲示板閉鎖は残念ですが、
tsubuさんがお元気になられて、
活動を再開してくださったことがうれしいです。v-22

人は必ず死ぬことを前提に生まれてきました。
凡人は目に見える事柄に現を抜かし、
自分がいつかは死ぬということを忘れています。
その点、tsubuさんは大事なことを
思い出すことができたラッキーな方なんです。
しかも、普段の生活に支障がないとは、
”超ツイテル”方ですね。
このツキを生かして、存分に人生を楽しんでください。
お互い有意義に生ききりましょう。v-238

「松岡洋右」についてわたしは、
国際連盟脱退などの行為は
天皇陛下をはじめ、日本政府の意向によるものと
思っていましたが、ごく最近、
アメリカ留学時代に援助を受けた
アメリカ財閥(武器商人)の意向に従ったものであり、
日本政府は驚愕し、天皇陛下はますます松岡に
不信を抱かれた。というのが実態だと聞きました。
人の見方は様々であり、また同じ一人の人物像も
多様な表情があるものでしょうが、
三好徹さんはどのように書いておられるのでしょう?
浅学のわたしには大きななぞが深まるばかりです。


tsubu
”華”煌めくさま

こんにちは。ご無沙汰しております。
また、大変ご心配をおかけいたしました。

確かに、そうですよね。
一種人間という生き物は、生まれた時から死に向かって生きている動物ですからね。
私の場合、貴重な経験が出来たと考え、今回受けた幸運をかみしめながら、これからも頑張っていきたいと思っています。
励ましのお言葉を頂きまして、ありがとうございました!

さて、松岡洋右ですが、ほんと人によって評価がまちまちなので、色々と判断に困ります。
国際連盟の脱退についても、当時の元老であった西園寺公望が松岡に対し、「連盟を脱退させるようなことはさせない」と確約していたそうですが、軍部の圧力からか、それも腰砕け、結局は脱退せざるを得ない状況になったようです。

私も浅学ですので、アメリカ財閥の話は初めて聞きましたが、当時の日本政府としても最終的には「脱退やむなし」との判断だったようですよ。
何せ陸軍が内閣の言うことを聞かないような状況でしたから、当時の政治家達は難しい選択を迫られたことでしょうね。

松岡にしても、公式の場で述べている意見と側近にもらした話が、天と地ほど食い違っているらしく、どこに本心があったのかを探るのが非常に難しいようです。
三好さんとしては、松岡に同情的ではありますが(軍部の横暴から、外交が機能しなかったため)、それでも松岡に見通しの甘さ(つまり、日米開戦にいたること)があったと書いておられます。

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おめでとうございます(^-^)
ブログ開設おめでとうございます。
掲示板閉鎖は残念ですが、
tsubuさんがお元気になられて、
活動を再開してくださったことがうれしいです。v-22

人は必ず死ぬことを前提に生まれてきました。
凡人は目に見える事柄に現を抜かし、
自分がいつかは死ぬということを忘れています。
その点、tsubuさんは大事なことを
思い出すことができたラッキーな方なんです。
しかも、普段の生活に支障がないとは、
”超ツイテル”方ですね。
このツキを生かして、存分に人生を楽しんでください。
お互い有意義に生ききりましょう。v-238

「松岡洋右」についてわたしは、
国際連盟脱退などの行為は
天皇陛下をはじめ、日本政府の意向によるものと
思っていましたが、ごく最近、
アメリカ留学時代に援助を受けた
アメリカ財閥(武器商人)の意向に従ったものであり、
日本政府は驚愕し、天皇陛下はますます松岡に
不信を抱かれた。というのが実態だと聞きました。
人の見方は様々であり、また同じ一人の人物像も
多様な表情があるものでしょうが、
三好徹さんはどのように書いておられるのでしょう?
浅学のわたしには大きななぞが深まるばかりです。
2013/09/12(Thu) 23:02 | URL  | ”華”煌めく #jh9yyTnY[ 編集]
”華”煌めくさま

こんにちは。ご無沙汰しております。
また、大変ご心配をおかけいたしました。

確かに、そうですよね。
一種人間という生き物は、生まれた時から死に向かって生きている動物ですからね。
私の場合、貴重な経験が出来たと考え、今回受けた幸運をかみしめながら、これからも頑張っていきたいと思っています。
励ましのお言葉を頂きまして、ありがとうございました!

さて、松岡洋右ですが、ほんと人によって評価がまちまちなので、色々と判断に困ります。
国際連盟の脱退についても、当時の元老であった西園寺公望が松岡に対し、「連盟を脱退させるようなことはさせない」と確約していたそうですが、軍部の圧力からか、それも腰砕け、結局は脱退せざるを得ない状況になったようです。

私も浅学ですので、アメリカ財閥の話は初めて聞きましたが、当時の日本政府としても最終的には「脱退やむなし」との判断だったようですよ。
何せ陸軍が内閣の言うことを聞かないような状況でしたから、当時の政治家達は難しい選択を迫られたことでしょうね。

松岡にしても、公式の場で述べている意見と側近にもらした話が、天と地ほど食い違っているらしく、どこに本心があったのかを探るのが非常に難しいようです。
三好さんとしては、松岡に同情的ではありますが(軍部の横暴から、外交が機能しなかったため)、それでも松岡に見通しの甘さ(つまり、日米開戦にいたること)があったと書いておられます。
2013/09/13(Fri) 09:14 | URL  | tsubu #-[ 編集]
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