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「宮崎で有名な歴史上の人物と言えば?」

こういう質問をされると、宮崎県人は少し考え込んでしまうことが多いようです。
以前ブログにも少し書きましたが、江戸藩政時代、宮崎というところは、鹿児島や熊本といった大藩に挟まれる形で、いくつかの小藩に分割されて統治されていた土地でした。
そのためか、政局に絡むこともなく、中央に聞こえるような有名な人材を輩出しにくかったことが原因の一つと言えるかもしれません。
また、戦国時代の争乱期や西南戦争の時にも象徴されるように、宮崎というところは、どちらかと言うと他藩から侵略される地になると言いますか、戦場になってしまう傾向がありましたからね。

ただ、このような状況にあったとしても、私は「宮崎に人なし」とは思っていません。
有名な歴史上の人物を挙げろと言われれば、もちろん挙げることは出来ますが、歴史に親しみのない方にとっては、最初のような質問をぶつけられると、なかなか答えるのが難しくなってしまうのかな、という風に解釈しています。

さて、ここまで書いたのであれば、宮崎で有名な歴史上の人物を紹介するべきだと思いますが、江戸期に絞って言うならば、以前、延岡に「胤康(いんこう)」という勤王僧が居たことを紹介しましたが、胤康では余りにもマイナー過ぎると思います。
やはり江戸期を通じて一番有名な人物と言えるのは、安井息軒(やすいそっけん)ではないでしょうか。
「安井息軒って誰?」という声も聞こえなくはないですが(苦笑)、私はやはり安井息軒だと思います。

息軒の人となりについては、以前、エッセイで書いたことがありますので、下記URLを参考にして頂ければと思います。

(我が愛すべき幕末)第20回「三計と半九-安井息軒-」

息軒の業績をごく簡単に説明すると、江戸に「三計塾(さんけいじゅく)」という有名な私塾を主宰した学者となりますが、元は現在の宮崎市清武(きよたけ)町の生まれです。
清武という町は、現在は宮崎市に編入されていますが、江戸藩政当時は、宮崎の南方、飫肥藩の領地の一つでした。
ちなみに明治期の外交官で、日露戦争後のポーツマス条約締結に尽力した小村寿太郎も飫肥の生まれですし、「飫肥西郷」と異名をとり、大学南校(東京大学の前身)で学んだ秀才・小倉処平も同じく飫肥の生まれです。
飫肥藩は、学問奨励の気風が非常に高い藩だったと言われていますね。
その名残りを示すかのように、現在も飫肥藩の藩校であった振徳堂と呼ばれる建物が現存し、その往時を偲ぶことが出来ます。

少し息軒から離れてしまいましたが、現在、飫肥の地で息軒の足跡を辿るのは難しくなっていますが、息軒が生まれ育った清武には、「きよたけ歴史館」という立派な歴史資料館が建てられており、息軒の足跡や業績を詳しく知ることが出来ます。
先日紹介した「佐伯市歴史資料館」と同じく、この歴史館も息軒関係の生の原資料が数多く見られる資料館ですのでオススメです。

ちなみに、今回久しぶりに「きよたけ歴史館」を訪れ、職員の方と話す機会があったのですが、息軒に関しては、まとまった活字化された資料が少なく、何か一つ調べるにも苦労することが多いらしいです。
著名な小説家が息軒を主人公に作品でも書いていたら違っていたんでしょうけどね。(ちなみに、森鴎外は息軒の奥さんを主人公とした『安井夫人』を書いています)

14320062507970.jpg
安井息軒旧宅(宮崎市清武町)

【2015/05/19 12:36】 | 幕末・維新
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