西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
先日、と言っても、かなり前のことですが、BS-日テレで放映された、

「西南戦争をめぐる新推理! 西郷隆盛暗殺計画の真相を追え!」

というテレビ番組を見ました。
この番組は、歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが司会進行を務める「解明 片岡愛之助の歴史捜査」の第2回目で、だいぶ前に録画していたものをようやく見たのですが、今回はその感想を少し書きたいと思います。

まず、番組タイトルから、かなり期待して見たのですが、「西郷隆盛暗殺計画の真相を追え」という副題が付いているわりには、そのことに関する言及が少なかったように思います。
番組の約4割くらいは「西郷隆盛の写真の謎」の話でしたので。
ご覧になられた方はお分かりかと思いますが、その内容は、近年出版された、

斎藤充功『消された「西郷写真」の謎:写真がとらえた禁断の歴史』

を元にした考証でした。

西郷写真の有無に関しては、これまで数えきれないほど話題にのぼった話ですが、「結局は一枚も存在しない」というのが真相であり、結論であるかと思います。
非常に有名なエピソードですが、西郷は明治天皇から写真を所望された際にもそれを断っています。
西郷が敬愛した明治天皇にさえ、そのような態度をとっていることからしても、やはり西郷は、写真を一枚も撮っていないというのが真相だと思います。

また、西郷写真の有・無が、どうして西郷暗殺計画に繋がるのか? そもそも疑問ですが、番組内では、

「西郷という人物を直接見たことのある、あるいは知っている人物は、鹿児島にはそうたくさん居なかった。実際に西郷を見て、知っている数少ない人物の中に、密偵の一人で、西郷暗殺計画を自供した中原尚雄がいる。彼が暗殺者として選ばれるに到ったのは、西郷の顔を知っていたからだった」

みたいな話になっていましたが、少しこじつけに近いですね。。。

いわゆる「東獅子」と呼ばれる、警視庁から派遣された密偵による「西郷暗殺計画」が本当にあったのかどうかについてですが、番組内では、当時の鹿児島県裁判所の判事7人が、停戦と暗殺事件の真相解明を直訴した明治天皇宛の上奏文(密訴)を証拠としてあげ、暗殺計画は真実であり、また、その黒幕は、大久保利通だったという解釈をおこなっていました。

判事が西南戦争解決訴え 明治天皇宛て文書発見
(2012/06/24 付け「47トピックス」)
http://www.47news.jp/47topics/e/230817.php

まず、当時の裁判所の判事がそういった直訴をおこなった点ですが、はっきり言ってしまえば、当時の鹿児島県は、行政機関のトップであった県庁を筆頭に、警察などの組織も全て私学校党に握られている状況でしたから、裁判所の判事が揃って直訴したことをもってして、それが真実であったとするのは、少し無理がある解釈だと言えましょう。

また、大久保が暗殺計画の黒幕であったという説についても同じです。
西郷と言えば大久保、西郷対大久保、大久保対西郷と、明治維新後は常に対立構図で話されがちですが、二人は政治的に対立し、袂を分かったとは言え、お互いに憎しみの気持ちを抱くほど、険悪な関係であったとは考えられません。
いかに大久保が策士であったとは言え、簡単に西郷暗殺命令を出すような軽率な人物ではなかったでしょうし、大久保がそのような愚策を考えるはずも無かったと思います。
鹿児島の尚古集成館副館長の松尾千歳氏も、番組内で同じような趣旨の発言をされていましたが、もし、西郷を暗殺したとしたならば、その影響は計り知れなく、鹿児島全域が暴徒化することは必定だったでしょうから、大久保がそのような指令を出すことはあり得なかったと私も思います。

ただ、西郷暗殺計画が全く根拠が無かった話であったとも思えません。
暗殺計画を自供した中原尚雄やその話を直接聞いたとされる谷口登太の話などを総合して考えれば、密偵達に対し、「いざとなれば、西郷や私学校幹部と刺し違えてでも目的を果たせ」くらいの話は、大久保ではなく、大警視の川路利良からあったようには思います。
いわゆる「西郷暗殺計画」というものは、全く根も葉もない「シロ」と言う訳ではなく、「グレー」に近いものはあったと思うのですが、その指令が大久保から出ていたということは、やはり考えづらいですね。

【2015/08/17 12:14】 | 西郷隆盛
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