西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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寒い日と暖かい日が交互にくるようなおかしな天気が続いておりますが、先月、久しぶりに京都に行ってきました。
現在、京都では「第50回記念 京の冬の旅」というイベントが開催されており、通常は非公開となっている貴重な文化財等を見ることが出来るのですが、その中で東福寺「即宗院」が特別拝観出来ることを知り、久しぶりに京都まで足を運びました。

即宗院は東福寺の塔頭寺院ですが、薩摩藩・島津家の菩提寺でもあることから、薩摩藩にゆかりの物が数多く残されていますが、その中でも一番の見どころは、「東征戦亡之碑」でしょう。
「慶應之役」という文字から始まるこの碑は、いわゆる「戊辰戦争」で亡くなった人々を慰霊するために、西郷隆盛が書きあらわしたものです。
実は私、大阪という京都のすぐ近くに住んでおきながら、即宗院に行くのは、今回初めてのことでした。
近くに居るといつでも行けると思ってしまうのでしょうか、案外、灯台下暗しですね。

さて、東福寺ですが、秋は紅葉のシーズンで観光客もたくさん訪れますが、冬はシーズンオフだからなのでしょうか、土曜日であるにもかかわらず、観光客も少なめで、ゆっくりと時間をかけて見学することが出来ました。
今回の「京の冬の旅」では、即宗院だけでなく、国宝の「山門」も中に入って見学することが出来たのですが、まずはお目当ての即宗院に向かいました。

即宗院内には、特別に西郷隆盛の漢詩が床の間にかけられており、その他、薩摩藩ゆかりの火鉢などの展示もありましたが、見事な庭園も見学することが出来ます。
建物内を見終わった後、いよいよ「東征戦亡之碑」を見に行きました。
少し小高い丘の上に、大きな石碑が建てられているので、すぐに分かります。

西郷隆盛という人物は、その巨躯から想像されるような豪快で粗放な性格ではなく、どちらかと言うと几帳面で神経が細やかな人であったと言えます。
「東征戦亡之碑」には、たくさんの戊辰戦争戦没者の名が刻まれていますが、それらはいわゆる武士、つまり薩摩藩士だけではなく、例えば姓も無いような下働きの者や軍艦・春日丸の乗組員など、身分分け隔てなくその名が刻まれているのが特徴です。
後年の西南戦争においても、西郷は戦死者の名を手控えに書き残していたという逸話が残されていますが、おそらく戊辰戦争においても、西郷はマメに戦死者の名を控えていたのでしょうね。

西郷が、戊辰戦争で無くなったたくさんの命、つまり数多くの犠牲があったうえで明治新政府が出来上がったという、非常に強い思いを抱いていたことは、庄内藩士らが編纂した『南洲翁遺訓』を読めば明らかです。
「東征戦亡之碑」は、そんな西郷の気持ちを代弁した貴重なものと言えるでしょう。

※第50回記念の「京の冬の旅」は、2016年1月9日(土)から3月18日(金)まで開催しているようです。(詳しくは主催者情報をお調べ下さい)

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「東征戦亡之碑」

【2016/03/08 17:37】 | 史跡巡り
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