西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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 前回書きました『青少年「薩長同盟」フォーラム』ですが、入場者の先着50名限定で紅茶のティーパックのプレゼント(画像)があり、無料配布が好きな大阪人の私も当然その列に並び(笑)、プレゼントを受け取ったのですが、その時、ふと思い出したことがありました。

 薩摩藩がイギリスに向けて留学生を派遣するきっかけを作ったのは、NHKの朝の連続ドラマ『あさが来た』で有名になりました五代才助(友厚)と言えます。
 彼がその留学生派遣計画を藩に対して上申した際、その他にも様々な近代事業を藩内で推進するよう提言しているのですが、その中の一つとして、藩内で「紅茶」を製造するよう進言しています。
 その部分を少し抜き出してみると、次のとおりです。


早々御領国中一般に茶座御取立有之、大郷は二、三ヶ所、小郷は壱ヶ所づゝ、茶製館被召建、左に製法相記候紅茶御製法有之候はば、是迄御商法相成候青茶より、品位の高下により直段相異不申、勿論紅茶の義は製法至て簡易に有之、価も上下二つの区分を以、上品壱斤拾七八匁、下品拾四五匁と大概相究候ものに有之、青茶より余程高直に御座候間、夫丈けは御国益相増候様可有御座やと奉存候
(『五代友厚伝記資料第四巻』より抜粋)



 五代はこの建言書の中で、「領内に茶の製造所を作り、紅茶を製造することを勧奨します。なぜなら、紅茶は青茶(緑茶)と比べて、品質の高い・低いがそれほど問われず、製造もいたって簡単で、値段も上級、下級の二つの区分しかありません。そのため、紅茶を製造して販売すれば、大きな国益になると思っています」と書いており、抜粋はしませんでしたが、その後、紅茶の製法まで記しています。

 このように、五代は積極的に藩内で紅茶を製造するよう意見具申しているのですが、今回紅茶のプレゼントを手にした瞬間、ふと「五代の紅茶製造計画は、結局どうなったのだろう……?」と思い、フォーラム後に開かれた企画展「幕末薩摩外交」の展示解説後に、黎明館の町田学芸員に聞いてみましたが、長崎で試みたそうですが、余り上手くいかなかったとのこと。

 ちなみにですが、日本における紅茶製造の始まりは、『茶の日本史』(角山 栄著、中公新書)によると、明治7(1874)年3月に、内務省勧業寮農政課に製茶掛を設けたのに始まり、それは大久保利通による勧業奨励の一つであったそうです。
 同じく『茶の日本史』からの引用ですが、同明治7(1874)年、明治政府は「紅茶製法書」を各府県に配布して紅茶製造を奨励し、翌明治8(1875)年には中国から紅茶製造技術者二人を招き入れ、大分県の木浦、熊本県の人吉において、同地の茶業を営む者たちに紅茶製造法を習得させたそうです。
 また、その後、明治11(1878)年には、東京、静岡、福岡そして鹿児島(と言っても、現在の宮崎県延岡市です)に紅茶製造伝習所を設け、紅茶製造の普及をはかりました。

 このように明治に入ってからの新政府は、国内での紅茶製造に意欲を見せ、諸改革を行っているのですが、これら施策の元をただせば、五代が発案者と言えるかもしれませんね。
 私もちゃんと調べたことがないので何とも言えませんが、五代が大久保に対して「これからは紅茶製造で外貨を稼ぐ時代だ」みたいなことを言ったことがあったやもしれません。
 大久保は五代の盟友とも呼べる人物です。
 二人が大変親しく交際していた様子は、大久保の日記を見ればすぐに分かります。
 大久保の日記には、「松陰(五代の号)」という言葉が数多く出てきますし、その中には「今日松陰ト囲碁」なんていう記述も出てきます。
 大久保も五代も互いに囲碁好きです。将棋ではありませんが、二人は本当に「ウマがあった仲」だったのでしょう。

 これまた余談ですが、反対に五代と西郷隆盛は全く合いませんでした。
 西郷は人の好き嫌いがとても激しかった人物です。好きな人はとことん惚れ込みますが、一度嫌いになった人はケチョンケチョンにけなします(苦笑)。
 どうも西郷は武士でありながらも商人肌の人物が生理的に受け入れられなかったようですね。五代しかり、大隈重信しかりです。
 しかしながら、大変面白いことに、西郷の親友とも言える家老の桂久武と五代は、とても親交が深かったのですから不思議です。五代と桂の往復書簡がかなりの数残されています。
 こう考えると不思議ですよね、人の合う・合わないというのは。

 ちなみに、薩摩藩英国留学生と共にヨーロッパに渡った五代が、渡欧中にまとめた『欧行要集』という記録の中には、「紅茶」ではなく「コーヒー」についての売買相場や植え付け方法の記述が出てきます。


 印度地方コーヒー時価
一 コーヒー皮込、英百拾弐封度ニ付
上品 八拾四失位
下品 六拾四失位
 右は印度地方ニて買円候相場也。(以下略)

 右同コーヒー植付の大略
一 コーヒーは印度地方ニ於て、海面を抜凡千五百尺以上の山上、常ニ七拾度平均の温度にして、雨多く雲雨のしげきを好とす。植付より凡四ヶ年にして、実を可生。(以下略)
(『五代友厚伝記資料第四巻』より抜粋)



 五代は、紅茶の製造だけでなく、コーヒー栽培にも目を付けていたのです。
 いかに五代が同時代の中で先見性に秀でた人物であったかが、これをもってしても窺い知れるのではないでしょうか。
 明治維新150周年を迎えるにあたって、五代友厚は再評価すべき人物の一人だと思います。

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入場者プレゼント「薩摩スチューデントTEA」


(5)に続く

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【2016/10/18 12:30】 | 旅行
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大和
西郷さんに詳しいですね。今新潟におり、一昨日山形の酒田市南州神社に行ってきました。南州神社は勿論、町行く酒田市民に丁寧にされ感激しました。だけど此処は寒い。鹿児島の一番寒い頃の時期と同じ❗友達は凍死する前に帰ってこいでした。

酒田は良い街ですよね
tsubu
大和さん、初めましてこんにちは。

ブログへのコメント、ありがとうございます。
酒田の南洲神社には私も行ったことがあり、その際、職員の方に大変良く接して頂きました。
庄内地方における西郷人気は今でもとても高く、敬愛の情をもって西郷のことを語られる方が多いですね。

酒田は寒いようですから、風邪などお引きにならぬよう、気をつけてくださいね。

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コメント
この記事へのコメント
西郷さんに詳しいですね。今新潟におり、一昨日山形の酒田市南州神社に行ってきました。南州神社は勿論、町行く酒田市民に丁寧にされ感激しました。だけど此処は寒い。鹿児島の一番寒い頃の時期と同じ❗友達は凍死する前に帰ってこいでした。
2016/12/09(Fri) 13:10 | URL  | 大和 #-[ 編集]
酒田は良い街ですよね
大和さん、初めましてこんにちは。

ブログへのコメント、ありがとうございます。
酒田の南洲神社には私も行ったことがあり、その際、職員の方に大変良く接して頂きました。
庄内地方における西郷人気は今でもとても高く、敬愛の情をもって西郷のことを語られる方が多いですね。

酒田は寒いようですから、風邪などお引きにならぬよう、気をつけてくださいね。
2016/12/13(Tue) 09:11 | URL  | tsubu #-[ 編集]
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