西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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 前回まで、夏の鹿児島旅行のことを書いてきましたが、今回は夏の旅の最後の締めくくりとして、宮崎でのグルメ&史跡巡りについて書きたいと思います。

 西郷隆盛と言えば、ご存じのとおり鹿児島生まれの鹿児島育ちですから、その関連するゆかりの場所や史跡の多くが鹿児島県にあるのは当たり前ですが、実はその隣県である宮崎県にも、西郷関係の史跡が数多く残っています。
 ただ、正確に表現するならば、西郷隆盛関係と言うよりも、西南戦争関係と言った方が適切かもしれません。

 明治10(1877)年に起こった西南戦争(西南の役)については、熊本、大分、宮崎、鹿児島と九州の広範囲が戦場となったため、九州県内には数多くの関連史跡が点在しています。
 西南戦争末期、宮崎も薩軍が政府軍と激しい戦いを続けた土地であるため、県内の各所には、戦場を含めて関連する史跡がたくさん存在しています。
 それら西南戦争関連の史跡の中でも、宮崎特有のものを挙げるとするならば、それは西郷隆盛の敗走関係の史跡だと言えましょう。

 明治10(1877)年8月15日、現在の宮崎県延岡市の北方、和田越(わだごえ)の地で繰り広げられた「和田越の決戦」で敗れた薩軍は、翌8月16日に軍を正式に解散しました。
 この和田越の戦いは、西郷隆盛が初めて陣頭指揮をとった戦いでもあったことから、現在その地には、「西郷隆盛陣頭指揮之地」という木製の碑が建てられていますが、この戦いは薩軍が勝利を期して挑んだ最後の決戦でもありました。

 しかしながら、薩軍はこの戦いで敢え無く敗退し、西郷は軍の解散を指示した後、大きな決断を下します。
 それは、鹿児島への帰還です。
 西郷は残った薩軍将兵たちを率いて、鹿児島に帰ることを決意したのです。
 薩軍の鹿児島への帰還は、鹿児島に戻り、再起を図ったと言えなくもないですが、実質的には、薩軍は既に敗軍であり、西郷以下薩軍将兵たちは、軍を解散したその日から敗走の道を辿ったと言えるのではないでしょうか。

 しかしながら、当時の延岡は政府軍が既に占領し、延岡沖には軍艦が鎮座して、延岡の北方、現在の北川町付近に宿陣していた薩軍は、四方八方を政府軍に取り囲まれている状態でした。
 そのため薩軍は、まさに網の目を潜り抜けるように、密かに可愛岳の峻嶮を越えて、政府軍の囲みを突破し、一路鹿児島に向けて南下を始めました。
 いわゆる鹿児島に向けての「逃避行」が始まったわけですが、人目を忍び、道なき道を進む過酷な敗走は、その後、約半月に渡り続きます。

 このように西郷以下薩軍将兵たちは、延岡の北方から鹿児島に向けて敗走の道を辿ったことから、宮崎県の各地には、「西郷隆盛敗走の道」と呼ばれる街道や「西郷隆盛宿営の地」と呼ばれる宿泊跡などの史跡がたくさん残されているのです。
 私も宮崎に住んでいた頃、それらの史跡をいくつか巡ったことがありますが、特に西郷隆盛が宿営したと伝えられる場所は、伝承を含めて、非常にたくさんあります。
 今年の夏、その中の一つの宮崎県小林市須木にある「西郷隆盛宿営之地」に行く機会がありましたので、夏の旅行記の最後の締めくくりとして、今回はその時のことを書きたいと思います。


 実は今回、小林市の須木に行ったのは、西郷隆盛が宿営した場所を見に行くことだけが目的ではありませんでした。
 須木に天然のうなぎを出すお店があると聞いた私の義父が、うなぎ好きの私のためにわざわざ予約を入れておいてくれたからです。
 私は史跡巡りに絡めて、その土地土地の名産や名物を味わう「グルメ巡り」をするのが大好きです。
 史跡+グルメ。まさに最高の取り合わせではないでしょうか(^^)
 と言う訳で、今回は「天然うなぎ」「西郷隆盛宿営之地」を目的に、宮崎市から一路小林市の須木を目指すことになりました。

 宮崎市から小林市の須木へは、車でのアクセスが二通りあります。

 一つ目は、国道268号線を通り、高岡町、野尻町、小林の市街地を抜けて行く方法。
 二つ目は、県道26号線を通り、綾町を抜けて行く方法。

 国道268号線を通る方法は、最もメジャーな行き方ですので、私も何度か経験済みでしたが、車のナビで検索すると、二つ目のルートである県道26号線を通る方が、距離も時間も短く、推奨ルートとして表示されましたので、今回は二つ目のルートを選択しました。
 しかし、この選択が後になって後悔を生むことになるのですが、その時の私は知る由もありませんでした。。。

 県道26号線は、宮崎市から綾町の中心部までは道路も綺麗に整備されており、スイスイと楽に行けるのですが、観光地として有名な綾の「照葉大吊橋」を通り過ぎると、様相が一変します。急に道幅が狭くなり、車の離合(「すれ違い」のことです)が難しい山道へと変貌し、何とそれが延々と15キロ以上に渡って続くのです。
 車を運転しながら、私は県道26号線を選択したことをものすごく後悔しましたが、後の祭りです。お店の予約の時間もありますので、今さら引き返すわけにはいきません。義父を乗せて私が運転する車は、そのまま険しい山道を進んでいったのですが、何と車がすれ違うことが出来ない極端に道幅が狭い場所で、運悪く対向車と6回も出くわすことになったのです!
 そして、その内何と! 5回も私が狭い山道をバックするハメになったのですから、この日はほんとツイテいませんでした。
 県道26号線はとにかく道幅が狭く、なおかつ車を離合させるポイントも少ないため、対向車と出会おうものなら、必ずどちらか一方がバックして、車を通さなくてはならなくなります。
 前から感じていましたが、車のナビって、何だか信用なりませんよね?

「えっ? 何で、この道を通るの???」

 なんていうことが、結構起こりますので。
 この狭い山道の県道26号線が推奨ルートだなんて、どう考えても間違ってます(苦笑)。

 また、こういう離合が必要な時に限って、対向車の運転手が女性だったりします。
 今回出会った6台の車の運転手の内5人が女性でしたが、その5人の女性たちは、明らかにそっちの方がバックしやすいだろ、と思うような場所でも、自らバックしようとはせず、全員がピクリとも車を動かしませんでした……(苦笑)。
 こういうのは男性・女性関係なく、バックしやすい方が先に動くべきだと思うのですが、実際なかなかそうはいかないようです。
 と言う訳で、ほんと神経をすり減らしながら、狭い山道をバックすること5回、何とか目的地の須木に無事に辿り着くことが出来ました。

 げんきんなもので、窮地を脱して平和な場所に来ると、人間という生き物は、急にお腹が減ってくるものです(笑)。
 今までの緊張から解き放たれた私は、いざ目的の「天然うなぎ」を食べに、義父と一緒に予約していたお店へと向かいました。

 今回、天然うなぎを食べたのは、「勝美館」というお店です。
 天然うなぎと聞くと、ものすごく高価な代物のように思いますが、勝美館は非常に良心的なお店で、うなぎ定食の特上でも2,200円です。
 ちなみに並は1,100円でしたから、天然うなぎを出すお店としては、破格の値段設定ではないでしょうか。おそらく都会で同じものを食べようものなら、確実にこの3倍以上は取られると思います。

 私と義父は、うなぎ定食の特上(写真)を頼みましたので、うなぎがまるごと一匹付いてきました。
 私は天然うなぎ初体験でしたが、うなぎは養殖と天然とでは全く別の食べ物のように感じました。天然は歯ごたえがあり、一般で言う「うなぎ」を食べている触感とは全く別物です。私の義姉が、「ゴムを食べているみたいだったでしょ?」と言っていましたが(笑)、それは言い過ぎにしても、確かにそれに通じるものはありました。
 天然と養殖のどちらが美味しいか。これは好みの問題だと思いますが、私は食べ慣れているせいか、脂が乗っている養殖の方が好きですね。天然はさっぱりし過ぎているように感じました。また、天然を食べるのなら、かば焼きよりも白焼きの方が良いと思います。わさびを乗せて、醤油か塩で、なんていう方が合うような気がします。

14791100363840.jpg
(うなぎを一切れ食べちゃった後の写真です^^;)

 さて、天然うなぎを堪能した後は、ようやく歴史探訪の時間です。
 小林市の須木は、西南戦争の末期、鹿児島に向けて逃避行を続けていた西郷隆盛が宿泊した場所の一つです。
 延岡出身で、西南戦争関連、特に薩軍の可愛岳突破に関して貴重な著作を残された香春健一(かはる けんいち)氏の『西郷臨末記』によると、西郷が須木に入ったのは、明治10(1877)年8月27日のことです。西郷が軍を解散したのが8月16日のことですから、それから約10日後に須木まで南下したことになります。
(西郷が軍を解散した北川町と須木との位置関係は、下記地図をご覧ください)

mapsuki.png

 同じく『西郷臨末記』からの引用ですが、西郷は27日午後、須木村大字夏木字中藪の川添源佐衛門方に投宿し、そこで一夜を過ごしました。
 香春氏は、その時の西郷の様子を次のように記しています。


かくて先きに書いた堂屋敷の農家川添方に一行が到着すると、近くを南流する須木川を前にながめ得る同家の、南向きの座敷の縁の上に輿が据えられと、西郷はそのまゝ輿から這い出て奥の六畳の間に入った。すると護衛の薩兵が出て来て、すぐ次の間との隔てに幕を下した。「『翌朝出発までの間に、誰もその姿を見た者はなかった。』と、亡父源佐衛門がいつも話していた。」とは、当主群治氏の話であった。
(香春健一『西郷臨末記』から抜粋)



 香春氏は、昭和の初期から中期にかけて、宮崎県の西南戦争の戦跡を丹念に踏査された方ですので、その著作には非常に貴重な話が盛りだくさんに詰まっています。
 この一節も、須木に入った西郷の様子が、関係者の口伝を利用して、非常にリアリティ溢れる形で描かれているのではないでしょうか。

 西郷が宿泊した川添源佐衛門の屋敷ですが、残念ながら現存していません。
 現在その地には、「西郷隆盛宿営之地」(写真)と刻まれた大きな石碑が建てられているだけです。

14791100684401.jpg
(小林市須木「西郷隆盛宿営之地」)

 私が訪れたのは、西郷が宿泊した日に比較的近い、平成28年8月13日のことでした。
 現在の屋敷跡の前にはコンクリートの道路が整備され、往年の姿を偲べるものは何も残されていませんでしたが、西郷が眺めたであろう須木川には、今も昔と変わらず、透明度の高い綺麗な水が流れていました。
 部屋から一歩も外に出なかった西郷は、この須木川のせせらぎの音を聞きながら、一体何を考えていたのでしょうか。
 今となっては想像することしか出来ませんが、来たるべき鹿児島での最後の戦いに備えて、心を静めていたのかもしれません。

 最後に、またグルメの話に戻りますが、須木は栗の産地としても有名です。須木産の栗はとても甘くて美味しいですよ。
 また、須木から小林市の市街地に向かう途中に「ダイワファーム」という乳製品の直売所があるのですが、ここのソフトクリームがめちゃくちゃ美味しいです!
 特に、須木の栗を使っているのだと思いますが、ここの「マロンソフト」は、西郷ならぬ、最高です!(笑)

ダイワファーム
http://www.daiwafarm.net/index.html

※須木の「西郷隆盛宿営之地」は、宮崎交通の中藪バス停を降りてすぐの場所にありますが、アクセスが悪いため、車で行くことをオススメします。

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【2016/11/14 18:00】 | 史跡巡り
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とってもお久しぶりです
あやママ
ご無沙汰しております
篤姫の放送の頃書き込みしてました あやママです!
大河西郷どん、楽しみですね!
私の住んでる熊本は震災で大変ですが
お陰様で我が家は何とか無事でした。
また、時々お邪魔させて下さい!

ご無沙汰しています!
tsubu
あやママさん

こちらこそ大変ご無沙汰しております!
いやあ~、懐かしいです。
お元気でいらっしゃいますか?

地震、大変でしたね……。
ご無事で本当に何よりです。
まだまだ不便な生活が強いられているかと思いますが、一日も早い完全復旧を祈っております。
また、いつでも書き込んでくださいね。

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とってもお久しぶりです
ご無沙汰しております
篤姫の放送の頃書き込みしてました あやママです!
大河西郷どん、楽しみですね!
私の住んでる熊本は震災で大変ですが
お陰様で我が家は何とか無事でした。
また、時々お邪魔させて下さい!
2016/11/15(Tue) 02:15 | URL  | あやママ #-[ 編集]
ご無沙汰しています!
あやママさん

こちらこそ大変ご無沙汰しております!
いやあ~、懐かしいです。
お元気でいらっしゃいますか?

地震、大変でしたね……。
ご無事で本当に何よりです。
まだまだ不便な生活が強いられているかと思いますが、一日も早い完全復旧を祈っております。
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