西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
 先週末、娘の七五三参りで大阪の住吉大社に行ってきました。
 11月の七五三の時期もあってか、境内は七五三参りの人たちで溢れかえっていました。

 折角来たのでご祈祷もお願いしましたが、最近の七五三はプレゼントも豪華ですね。定番の千歳飴はもちろんのこと、鉛筆、消しゴムといった文具、そして今NHKの朝ドラ「べっぴんさん」でも注目されているファミリア(子供服メーカー)のカバンが2つと、さすがは大阪の有名神社のプレゼントです。(と、言いながら、祈祷料は一万円もします^^;)
 ちなみになせか協賛品と称して「三ツ矢サイダー」の缶ジュースまで配られました。炭酸ジュース好きの私にとっては嬉しいプレゼントです。(←親が飲むんかい!笑)

 と、七五三目的で住吉大社に行きましたが、ここは島津家ゆかりの神社でもあります。
 島津家の始祖・島津忠久は、この住吉大社で生まれたという伝承があり、その境内には忠久ゆかりの「誕生石」が残されています。

14794344663341.jpg
(住吉大社境内の島津忠久誕生地)

 忠久が源頼朝のご落胤(隠し子)であったとする伝承がありますが、現代では否定されることが多いですね。
 私は忠久の誕生について詳しく語ることのできる知識は全くありませんので、島津顕彰会発行の『島津歴代略記』を参考にして書きますと、忠久誕生の経緯は次のとおりです。

 『島津氏正統系図』や『島津国史』によると、忠久は源頼朝の長庶子で、母は比企判官能員(よしかず)の妹丹後局と伝えられています。
 丹後局は頼朝の寵愛を受けて懐妊しますが、正妻の北条政子に疎んじられたため、密かに西国に脱出することになったのですが、摂津国住吉において急に産気づき、治承3(1179)年12月晦日、住吉大社の境内で男子を出産しました。これが忠久ということです。

 丹後局が出産する際、雨が激しく降って産前産後を浄め、末社の稲荷神社の使いの狐が火を灯して丹後局の身を守ったと伝えられていることから、これが「島津雨」と「島津氏の稲荷信仰」の始まりとなったと言われています。
 鹿児島ではお祝いごとの際に降る雨を「島津雨」と言って、大変縁起の良いものとする習わしがあるのですが、その始まりはこの忠久出産にまつわる伝承から来ているものです。

 また、丹後局は境内にあった大きな石を抱いて出産したと伝えられていることから、住吉神社の境内には、「誕生石」と名の付いた石が今でも大切に祭られています。(写真)
 忠久の出産伝説の真偽はさて置き、住吉神社は大阪で薩摩藩の歴史に触れることが出来る貴重な場所の一つだと思います。
 ちなみに、住吉大社の近くには、幕末期、土佐藩が大坂警護のため、住吉陣屋を築いていたことから、坂本龍馬もここを訪れています。

14794344455930.jpg
(島津忠久の誕生石)

FC2blog テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【2016/11/18 12:30】 | 大阪周辺歩き
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック