西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
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 先日、2018年NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』の原作、林真理子さんの『西郷どん』(月刊「本の旅人」(角川書店発行)に連載中)の第11回を読み終えました。

 前回の第10回は、西郷に本土・鹿児島から召喚状が届くところで話は終わっていましたが、今回の第11回は、アッと言う間に月日は進み、西郷が徳之島に遠島となったことを奄美大島に居る愛加那が知るところから話は始まります。
 やはり、この小説は西郷隆盛の生涯をダイジェスト的に描いていますね。
 鹿児島出身の歴史作家で、西郷関係の小説や史伝を数多く書き遺した海音寺潮五郎氏が、西郷の生涯を全て小説の形式で描くのは無理があると考え、史伝での執筆に切り替えたことは有名な話ですが、やはり西郷の全生涯を事細かに小説で描き切るのは、かなり難しいことだと思います。
 おそらく林さんもそのように考え、西郷の人間性にスポットを当て、女性目線からの西郷像を描こうと思われたのでしょう。そうしたスタンスは、作中に色濃く表れていると感じています。

 さて、第11回では、西郷が奄美大島から鹿児島本土へと戻り、再び徳之島に流されるまでの出来事を西郷自身が徳之島に訪ねてきた愛加那に対して語るという形で描かれています。
 独白ではありませんが、それに近い形で、西郷が愛加那に対して、流刑となった経緯を説明します。

 いわゆる久光の率兵上京計画を巡っての「久光との確執」、「大久保との心中(刺し違い)未遂」、そして「寺田屋事件」の経緯が西郷の口から語られるわけですが、基本的にこれまでの西郷伝と変わりのない解釈で描かれています。
 ただ、西郷が久光のことを必要以上にケチョンケチョンにけなしています(苦笑)。「少しけなし過ぎなのでは?」と思うほど、作中における西郷の久光評は非常に手厳しいです。何せ、久光のことを「らっきょうのような顔の小男」とまで罵っていますからね……。ちょっとやり過ぎなのではないでしょうか。

 確かに、西郷は久光のことを好意的に思っていなかったことは事実だと思いますが、少し異なった観点から見てみると、例えば、万延元(1860)年2月28日付けで、西郷が大久保正助他三名宛てに出した書簡の中で、西郷は久光のことを「周公旦の御忠胆実に感佩奉り候」と書いており、中国・周王朝建国の功臣であった周公旦になぞらえて賞賛しています。
 これは一般に伝えられているような西郷の久光に対する悪感情からかけ離れた書きぶりであると言えます。
 周公旦は中国の歴史上においても賢人として崇められている人物です。西郷は久光のことをそんな人物と比べて、褒め称えているわけですから。

 この記述だけを見れば、西郷は久光に対して悪感情を持っていなかったとも判断可能ですが、ただ、鹿児島に帰還後の西郷の言動を考え合わせると、やはり西郷は久光に対して一種冷めた目で見ていたことは確かだと思います。
 例の「地五郎(じごろ)発言」(西郷が久光に対し、面と向かって「地五郎(田舎者の意味)」と言ったこと)と言い、久光の率兵上京計画を真っ向から否定したことから考えても、そう判断するのが妥当のような気がします。

 ただ、私自身の解釈では、もう15年以上も前の「テーマ随筆」でも書きましたが、西郷が久光に面と向かって「地五郎」と言ったとは到底思えないのです。
 確かに久光の家臣であった元薩摩藩士の市来四郎は、久光からそう聞いたと語り残していますが(『史談会速記録』第十九輯)、その証言自体がだいぶ後年のことであることと西郷と久光の関係が悪かったを踏まえての発言ですので、私は事実が少し捻じ曲げられているような気がしています。


(2)に続く

【2016/12/16 13:20】 | NHK大河ドラマ「西郷どん」
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