西郷隆盛、幕末・維新史、薩摩藩に関する話題など、幅広く書き込んでいます
最近ブログの更新が滞ってしまい、申し訳ありません。

実は現在、西郷隆盛に関わるプロジェクトと申しますか、ある計画に着手しておりまして、そちらに全神経を集中しているため、ブログの更新まで手が回らないような状態です。
この計画につきましては、はっきりしたことが決まり次第、またホームページやブログ等で告知させて頂く予定です。

さて、話は変わりますが、先月鹿児島に行った折、ついでと言っては何ですが、宮崎県児湯郡(こゆぐん)都農町(つのちょう)の報恩寺というお寺を見てきました。
一般には知られていませんが、この報恩寺には、西南戦争時に西郷隆盛が宿所とした「西郷の間」と呼ばれる部屋が遺されています。

この「西郷の間」、私もその存在を全く知らなかったのですが、三又喬『日向灘沿岸をゆく 黒潮路ロマン三九七キロ』(海鳥社)という本を読み、その存在を知りました。
同書によると、明治十(一八七七)年七月に政府軍の攻撃により宮崎が陥落した際、西郷は北上して高鍋から都農に到り、現在報恩寺がある場所に宿所を置いたそうです。
当時はまだ報恩寺ではなく、枡屋と呼ばれた家だったようですが、『古今宮崎史談』には「七月二十九日の夕方、宮崎北方の帝釈寺を発って広瀬に達し、さらに高鍋から都農に至り、枡屋河野宗平方に一泊した」とあるそうです。

また、その西郷が宿所とした枡屋は、その後正覚寺というお寺が建物を購入し、昭和十二年に報恩寺が譲り受けたそうですが、その際、「この家は西郷さんの泊まった家だから大切に保存してもらいたい」と念を押されたことから、現在も「西郷の間」として大切に保存されているとのことです。

ただ、残念ですが、報恩寺さんに電話で確認したところ、「西郷の間」は現在居住スペースとして使用されているため、建物内部を見学することは出来ません。
ただ、家屋は当時に近い状態で保存されているので、外観を見るだけでも一見の価値があります。
宮崎には、まだまだ知られていない西南戦争関係史跡がありますね。

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報恩寺「西郷の間」がある建物外観

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【2017/04/28 18:00】 | 史跡巡り
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